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イケイケドンドンだった‘米国覇権’急速没落

原文入力:2011/12/15 22:00(1183字)
チョ・イルジュン記者


イラク戦争9年‘始まりと終わり’
9・11を口実に侵攻…汚い戦争に


←2003年3月21日米国と英国連合軍の空襲でイラク、バグダッドのサダム・フセイン大統領宮が黒煙を吐きながら燃えている。(①)





←同年5月1日、ジョージ・ブッシュ当時米国大統領は航空母艦エイブラハム・リンカーン号に突然現れ "主な戦闘が終わった" として勝利を宣言した。(②)








←サダム・フセインは同年12月14日に生け捕り(③)され、2006年12月31日法廷で死刑が確定し、4日後に処刑された。









←だが、名分のないこの戦争で2004年4月アブグレイブ収容所内米軍の捕虜虐待(④)までが暴露され、米国の道徳性は大きな打撃を受けた。 <ハンギョレ>資料写真


  イラク戦争はアフガニスタン侵攻と共に米国にベトナム戦争の悪夢を思い出させるのに充分だった。


  2001年9・11同時テロの衝撃を受けた米国は‘テロとの戦争’と‘大量破壊兵器(WMD)除去’という口実で両国を相次いで侵攻した。ジョージ・ブッシュ当時米国大統領は全世界を 「こっちの側でなければ敵の側」に分けた。ブッシュ前大統領はイラク侵攻43日目の2003年5月、航空母艦エイブラハム・リンカーン号で「(米軍の)任務が完遂された」という勝利宣言を行った。その年12月にはイラクのある土窟に隠れていたサダム・フセインを捕らえた。 その時点では戦争が8年を超えて続くとは想像できなかった。


  しかし事態は米国の期待とは全く別の形に進んだ。イラク反乱軍はゲリラ戦術でしつこく抵抗した。イラク政局は政派・分派・民族葛藤が激化しながら深刻な混乱に陥った。 2004年4月にはイラク駐留米軍が現地アブグレイブ刑務所で犯した侮蔑的な捕虜虐待写真と動画が暴露され、イラク侵攻は急速に‘嫌悪すべき戦争’の象徴となった。


  米国はイラク戦争で4800人余りの軍人が命を失い、8000億ドル(約932兆ウォン)を超える戦費を注ぎ込んだ。莫大な社会的費用は数値で換算することさえできない。 参戦将兵の30%が精神疾患と社会不適応に苦しめられ、家庭破綻を体験した。 自殺した参戦軍人も数百人に達する。 2009年1月にはイラク派兵を控えたムスリム軍医官が部隊内で銃器を乱射し13人が亡くなる惨事が起きた。 1990年代初めの冷戦終息以後、絶対的だった米国の覇権はイラク戦とアフガニスタン戦争の中で急速に没落を始めた。 チョ・イルジュン記者 iljun@hani.co.kr


原文: https://www.hani.co.kr/arti/international/international_general/510477.html 訳J.S