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309日前 "高いけど、来てみたら眺めが良い" 彼女の笑いだけは相変わらず

原文入力:2011/11/10 18:32(2586字)
キム・ドヒョン記者


暫定合意案が可決され85号クレーンから降りてきたキム・ジンスク指導委員
"自分の足で降りて行く" という願いかなう


一人だったけど孤独ではなかった309日
‘希望のバス’は市民たちの恩返し
ツィッターは彼女の強力な疎通武器


←花束を受け取り喜ぶキム・ジンスク指導委員. パク・ジョンシク記者


 "高いけど来てみたら眺めが良い。後でクレーン1台買わなけりゃ。"
 釜山地域で労働運動をするイ・ユンギョン(40)氏は今年1月6日‘切親(大の親友)’キム・ジンスク(51)民主労組釜山本部指導委員から携帯電話文字メッセージを受け取り胸がドキッとした。

 韓進重工業影島事業所第85クレーンがどんな所なのか、あまりにもよく知っているためだった。2003年キム・ジュイク当時韓進重工業労組委員長が129日間の高空籠城をして "労働者がひとりの人間として生きていくためには命をかけなければならない国" に絶望する遺書を残し命を絶った高さ35mのクレーンだった。そちらにキム指導委員が誰にも知られないように上がったのだ。


キム・ジュイク委員長の自殺10日後に、韓進重クァク・ジェギュ氏が10m下のドックに自ら身を投げた。


 キム指導委員はクレーンに上がる前「こんなふうに組合員たちが首を切られていくのを黙って見ているわけにはいかないじゃないですか」として整理解雇された韓進重労働者が復職するまで自ら降りては行かないという覚悟を込めた手紙を組合員宛てに送った。


 "彼が死んだ時の罪悪感は到底言い尽くせません。2週間毎日泣き続けました。ところがクァク・ジェギュ組合員が後に追って死にました。二人の合同葬儀を行って家に帰ってきて、なにげなくボイラーをつけようとした時、身体がびくっと震えました。同志を二人も見送ってきたというのに、それでも温かい部屋で寝ようとボイラーをつける自分がそれほど惨めに思えたことはありませんでした。夜通し吐きながら泣いた後は、一度もボイラーをつけて寝ることはできませんでした。現在の状況がその時と全く同じです。会社側が度々私を、労組員たちを崖っぷちに追い立てた。"  (‘ハンギョレが会った人’ 2011年6月20日付インタビューより)


横になる場所はおろかバケツで用便を済ませなければならない1坪にもならない狭苦しいクレーンの中で、四季が過ぎても「自分の足で降りて行く」という夢を失わなかったキム指導委員の願いが10日にかなった。キム氏はこの日、整理解雇者94人を1年以内に再雇用することを骨格とする労使の暫定合意案が組合員賛否投票で無投票で可決されるや、午後3時20分頃この間籠城していた影島造船所3ドックそばの高さ35mの85号クレーンから降りた。


キム委員が生きて帰ってきたことをひたすら喜ぶには彼女がクレーン上で耐えなければならなかった歳月があまりにむごい。
 しかし一方では彼女の存在がなかったとすれば韓進重事態がこのように劇的な妥結を成し遂げることは難しかったことは明らかだ。


 自ら韓進重事態を解決できなかった韓国社会全体が命を担保にした彼女の闘争に借金を負っているかもしれないということだ。30年近く労働運動をしながら「自身はラーメンを食べてでも同志たちにはご飯を買ってくれる人」(イ・ユンギョン氏<週刊京郷>インタビューより)として記憶された彼女の広い面倒見は労働運動と関係なく生きてきた多くの人々に自身を省察させた。


  去る6月12日、85号クレーンに向かって初めて発車した‘希望のバス’は突き詰めてみれば「キム・ジンスクだけにまかせることはできない」という多くの市民の恩返しということだった。出発前日に会社側の強力な妨害作戦にもかかわらず、予想を越えて750人の市民が希望バスに乗った。それは労働運動と市民が連帯する新しい方式の運動を産み出しもした。


 キム・ジンスク氏も「希望のバスは私が30年近く労働運動をしながらも体験したことのないとても新しくて神秘な運動」(ハンギョレが会った人 インタビューより)と驚きと喜びを同時に表現した。「希望運動、何の組織的関連もない人々が自分で金を出して1泊2日の時間をあけて、見慣れないところで見慣れない経験をしたということ自体がどれほど新鮮ですか!」


 ツイッターは参加できない多くの人々に連帯のメッセージを広めるまた別の希望のバスだった。俳優キム・ヨジン氏が逮捕された後、警察バスから上げたツイッターの内容は数多くのメンションと共にキム・ジンスクと希望のバス、韓進重労働者に対する関心を高めた。キム・ジンスクにとってもツイッターは強力な武器だった。 彼女が親しかったキム・ジュイクは絶望して死んでいったが、キム・ジンスク氏はツイッターを通じて35m下の世の中と疎通をやりとりした。会社側は一時、携帯電話のバッテリー供給まで中断させ世の中との断絶を試みたが、彼女は太陽光バッテリーを利用して人々のメッセージ受信を続けた。この間、希望バスは5次まで数多くの市民の同乗行列が続いた。


 <ニューヨークタイムズ> <BBC>等、数多くの言論が先を争ってキム・ジンスクの高空闘争を報道したことはもしかしたら当然のことかもしれない。G20議長国という国の品格を自慢した韓国で、51才の女性労働運動家の高空闘争が韓国市民たちに伝えるメッセージの波紋に注目したのだ。他の国では類例のないクレーン闘争と希望のバスという連帯、そしてツイッター疎通が新自由主義狂風がなめ尽くして行った世界の人々の心臓を鳴らせたのだ。


キム・ドヒョン先任記者 aip209@hani.co.kr


原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/504894.html 訳J.S