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[編集局から] 私たちの中の‘竹島’/ペク・キチョル

原文入力:2011/08/03 18:50(1683字)
ペク・キチョル記者

独島(ドクト)で会議し歩哨に立つ…
外見上もっともらしく見えるだけで失敗だ
克日の道はさらに遠のくだろう

←ペク・キチョル政治部長

日本野党議員らの韓国行に触発された‘独島(ドクト)波動’は概して陳腐な形に流れている。数人の政治家の突出行動、これを巡る韓-日対立、マスコミの拡大再生産、そしてまた別の強硬対応という従来の悪循環構造を繰り返している。今回は日本議員が‘敵陣’である韓国に飛び込んだ点が風変わりなだけだ。
日本の領土問題イシュー化は民主党政権になってもその勢いが変わっていない。暇さえあれば‘独島犯し’に熱中する姿は増すことはあれ減りはしない。 中国に逆転され韓国が追いかけているせいだろうか。指導者らしい指導者、大きなリーダーシップが見あたらない惨めな日本の現実を見るようで残念だ。

今回の騒動は実際、韓国政界が自ら招来した側面がある。彼らの訪韓は去る5月に韓国議員3人が日本と領土紛争中のロシア領土千島列島を訪ねてロシアの手を上げたことに対する一種の‘報復’だった。野党議員がロシアの土地にまで訪ねて行き大韓人の気概を高めたかどうかは分からないが、一度の快感のためとしては‘後日の禍’が大きい。

イ・ジェオ特任長官の場合はもはや言うべき言葉もない。日本議員らの訪韓を大々的に宣伝し所期の目的を達成するためにした一番の貢献者がまさに彼だ。独島で哨兵勤務をするパフォーマンスは選挙用には圧巻だった。日本人たちがそれを見てわが国の政治水準をどう思ったかと顔が赤くなる。品格と節制を示すべき一国の長官としては落第点だ。

いつだったか家で子供と一緒に日本と他国が対戦したスポーツ競技を見ていた時のことだ。どっちを応援するかと尋ねると、子供は躊躇なく日本が負けたらうれしい、日本は嫌いだと言った。明確な理由はなかった。内心驚いた。わが国の学校と社会が純真な子供たちにまで反日感情を体系的に注入しているのではないかという気がした。日本人たちが独島問題などに非合理的に没頭しているように、私たちも日本に対してどこか我執と偏見に捕われているのではないだろうか。

強制併合以後100年の歳月が流れたが、日帝がわが国に犯した民族抹殺の罪は洗いようもない。韓-日悪循環の根は日本右翼の慢性的な侵略主義根性だ。新藤義孝議員が金浦空港へ向かった日の朝 「鬱陵島(ウルルンド)はイカがおいしいと聞いた」と当たり前のように話すのを見て情けなかった。独島が日本領土であるように、また鬱陵島のイカも自分たちのものという話に聞こえた。

加害者が精神を整えられずにいるのに被害者の寛容や合理的接近を語ることは生半可かも分からない。だが、克日の道は私たちがさらに広くなるということだと考える。果てしない被害意識から抜け出せなかった過去の韓国では今はもうないのではないか。ベトナムが国をすべて踏みにじった米国や韓国に何の賠償も要求せずに抱きしめるのを見てすごい国だと思った。中国との国境紛争時は一戦を辞さず事実上 中国をひざまずかせた。寛容でも怒りでも、中心が正しくとらえられていなければならない。国際外交では時には強硬姿勢が必要だが、強硬姿勢が失敗するケースも多い。歩哨に立ち独島で会議を行うことは外見上はもっともらしいだけで正しい強硬姿勢ではない。

民族主義が進歩的だった時代はもう過ぎ去った。民族解放運動の伝統の中で反日は進歩、親日は保守だった時代があった。この頃はごちゃまぜになって何が進歩かすらこんがらかる時がある。隣国日本は宿命的なライバルにならざるをえない。 対決と反目、非難の道はやさしいが、日本と共に手を握り互いに立場を換えて考えながら進むことははるかに難しい。

kcbaek@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/politics/diplomacy/490232.html 訳J.S