原文入力:2011/08/02 14:12(1868字)
キム・ドヒョン記者
←下條正男(60)教授
自民党保守右派議員3人の鬱陵島(ウルルンド)企画訪問を立案したと知られ、31日夜 仁川(インチョン)空港から強制出国された下條正男(60)拓殖大学教授が韓国のニューライト学者が作った歴史教科書に賛辞を送ったと発表された。
下條教授が2008年<産経新聞>が発行する月刊誌<正論>(7月号)と<読売新聞>の週刊誌<読売ウィークリー>(12月25日号)等に寄稿文を通じて高く評価したものはイ・ヨンフン ソウル大教授らが主軸となったいわゆるニューライト学者団体‘教科書フォーラム’が編纂した‘代案教科書 韓国史・現代史’だ。
←下條正男(60)教授が2008年<正論>(7月号)と<読売ウィークリー>(12月25日号)に寄稿した内容.
下條教授は「今まで韓国の歴史教科書は過去の歴史を‘日本の侵略’という構図で記述してきた」とし「代案教科書は統計と資料など客観的記述を重視し日本の植民統治を韓国の近代化を助けたと一定の評価を付与するなど、今までの感情的な記述とは対照的だ」と言及した。 一方的に日本の侵略と断定してきた既存の教科書とは違い、代案教科書は学習者に考えさせる柔軟性があるということだ。
彼は特に「代案教科書が‘竹島(独島の日本式表記)問題’には直接言及していないが戦後に韓国が‘李承晩ライン’を設定し韓-日関係が悪化した事実に言及することによって問題の背景を説明した」と評価した。
代案教科書が李承晩ラインを根拠に韓国側が日本の漁船152隻、漁民と船員2025人を拿捕抑留した事実を伝える一方、1952年から始まった韓日国交正常化交渉で日本側代表が「植民地時代、日本は良い事を成した」と発言し韓国人の自尊心に傷つけたと記述したと下條教授は指摘した。独島問題の原点を李承晩 ラインと主張する下條教授には李承晩大統領が1952年独島を韓国海域に入れた‘李承晩 ライン’に教科書フォーラムが言及したことは好みにぴったり合ったと見るほかはない。
既存の韓国歴史教科書は 「露-日戦争が最中に竹島を一方的に日本の領土に編入した」と教え、日本の領土野心による侵略だと規定し李承晩 ラインを巡る歴史的事実に対しては言及しなかったというのが下條教授の主張だ。
また、下條教授によれば既存の歴史教科書とニューライト教科書の差異点は、朴正熙前大統領の新しい村運動に対する評価にも端的にあらわれる。左派勢力が記述した新しい村運動は「朴正熙独裁と維新体制を支援する逆機能」をしたとなっているのに比べ、ニューライト教科書は農村改良運動が進んだ実態を統計上の数値で説明し「伝統的な小作社会の村から近代的な共同体へ発展した」と結論を下しているということだ。
彼は「新しい村運動は日本植民統治の農村振興を参考に1970年代 朴政権が実施したことであり、今日 中国がその解決策として導入している」とし「この新しい評価は日本植民統治に対する記述変化に基づいたことは言うまでもない」と主張した。
彼は教科書フォーラムが発足した2005年は、韓国の思想弾圧の旋風が吹き荒れ始めた時だとし、団体の結成が親日派断罪の雰囲気に対抗するためのものだったと主張した。
彼は2004年、教科書フォーラムのイ・ヨンフン ソウル大教授の著書‘数量経済学から再び見た朝鮮後期’という著書に対し「日本の植民統治が伝えた韓半島近代化に対する貢献を統計と資料を通じて明らかにしたが、韓国内では多くの批判を受けた」と指摘した。また、2005年春、日本雑誌に掲載したハン・スンジョ当時高麗大名誉教授の論文‘共産主義左派思想に根をおろした親日派断罪の愚’に対しても "日本の植民統治に肯定的評価を下した論文を掲載し盧武鉉政権が2004年に制定した‘日帝強制占領下反民族行為真相究明に関する特別法’を名指し批判した」と称賛した。
しかしハン・スンジョ教授の主張はおりしも‘竹島の日’制定と重なり韓国中で高まった民族感情の犠牲になり左派勢力の集中攻撃を受け名誉教授の呼称を剥奪され‘親日派教授’として批判されたと彼は残念がった。
キム・ドヒョン先任記者/ツイッター@aip209
原文: https://www.hani.co.kr/arti/international/japan/490038.html 訳J.S