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[世相を読む] 原子力とマスコミ/キム・ジョンチョル

原文入力:2011/07/13 19:05(1616字)

問題の緊迫性と深刻性に較べ、
韓国の知識社会、特に言論の関心度は情けない程に低調だ

←キム・ジョンチョル<緑色評論>発行人

いつかまた機会があるかもしれないが、この紙面とひとまずお別れする。この間<ハンギョレ>が貴重な紙面を私のような人間に提供してくれたことに感謝の言葉と共に別に良い文を書けず申し訳ないという話をせざるをえない。机の引出しをざっと見てみれば<ハンギョレ>に私が文を初めて書いたのは1994年7月9日付の‘ハンギョレ論壇’だった。勤勉に書いたわけではなくたまに書き続けたので全体の分量はいくらにもならないが、とにかく縁はかなり長くなったようだ。

ところで遺憾なことは今この文が 私が初めて<ハンギョレ>に書いた文とその論調が少しも違っていないという事実だ。17年前‘長期的ビジョンのない社会’という題名の文に出てくる 「私たちは去る数十年間(…)経済成長を強迫されたように追求してきたが、その結果は呆れたことに この地球上で最も野蛮で治癒不可能な程に利己心で病んだ社会の一つとなった」と書いた。そして私たちの社会の根本問題は‘長期的ビジョン’の欠乏にあると言い、当面の便益と物質的豊かさのために人生の長期的で根源的な土台を無分別に傷つける時、その結果がどうなるかを考えなくてはいけないと私は話した。非常に常識的な話であった。

今、遺憾だと思うのはそういう基本常識が依然として通じない社会に私たちが生きているということのためだ。最も代表的なものが4大河川と原子力問題だ。4大河川工事はこの国の最も重要な生態的・農耕的・社会的土台を復元不能なまでに傷つける暴挙であることが明らかなのに、絶対的な権力はそれを強行してきたし、私たちは権力の暴走をついに阻むことができなかった。そのために恐らく永きにわたり私たちは痛恨の涙を流すことになるだろう。

4大河川問題は今さら長く話す必要はない。だが、原子力は誰かが言い続けなければならない問題だ。私がそう思うのは、問題の緊迫性と深刻性に較べ現在の韓国の知識社会、特にマスコミの原子力に対する問題意識と関心度が情けない程に水準が低く、低調だと感じるためだ。

実際、4大河川工事の深刻な後遺症は徐々に現れることだが、原子炉はいつ爆発するか知れない時限爆弾だ。原発からは微量でも日常的に放射能が流出しているが、チェルノブイリ・福島事態のような恐るべき災難も絶対に他人事ではない。合理的思考力をもって問題を少しでも深く見るならば、そのことは誰もが到達できる結論だ。原子炉は機械であり、機械は人間が作り運営する物だ。人間は必ず失敗をする。したがって事故発生は必然的だ。これを否認し‘原子力の安全性’を確言することは、人間の理性的能力をあざ笑うことだ。そして言うまでもなく今 世界最高の技術先進国が体験している黙示録的災難により‘原子力の安全性’は ねつ造された神話であり完全に嘘だということが明確に立証された。

もしそうでないならば、ヨーロッパの国々が当面の経済的損失を覚悟し原子力依存の電力体制を放棄することを決定を下したことを私たちは理解できなくなる。しかしドイツ、イタリア、スイス、デンマーク、スウェーデンなど脱原発を宣言した国々の共通点は、チェルノブイリや福島事態から学ばなければならないことをきちんと学んだという事実だ。それは健全な理性が生きているという証拠だ。

問題は福島のような黙示録的事態を見ながらも、なお原子力依存から抜け出そうと真剣に悩まない社会とは果たしてどんな社会なのかということだ。言論の責任が重大だといわざるをえない。

原文: https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/487169.html 訳J.S