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もう一つの家族だと言いながら…謝罪の一言もない三星(サムスン)

原文入力:2011/06//28 19:01(1958字)
ホ・ジェヒョン記者

白血病で死亡した娘のために1人示威を続けるファン・サンギ氏
"三星が争い続けると言うなら私たちも争い続ける"
※もう一つの家族:サムスンは自社製品のTVコマーシャルで三星製家電製品を「もう一つの家族」と表現している。(訳注)

←三星電子で仕事をし白血病に罹り亡くなったファン・ユミ氏の死に責任がある人に会わなければならないとし、父親のファン・サンギ(56)氏が三星本館にはいろうとすると職員らに制止され倒れている。 写真提供 ファン・サンギ

ソウル、瑞草区、瑞草洞の三星本館前を警備するエスワン職員は何も言わなかった。ファン・サンギ(56)氏はこの日だけは必ず故人となった娘ユミ(三星電子白血病被害者・2007年3月死亡)の死に責任がある責任者に会いたいと思った。
 「中に入れて下さい。責任者に会わなければなりません。」ファン氏を取り囲んだ三星職員十人余りはファン氏の話を答えず目をそむけた。灰色の三星本館建物だけがファン氏を冷たく見下ろしていた。ソウル行政法院が去る23日午後2時、三星電子白血病労災認定判決をする二時間前だった。

裁判所が「白血病と業務の間に因果関係が認められる」と判決したこの日、三星は白血病被害家族たちに相変らずとても冷酷だった。ファン氏は1ヶ月に一二度づつ居住地である束草からソウルに上がってきて三星本館前で1人示威を行ってきた。この日は午前12時から三星半導体白血病被害家族3人と共に1人示威を行った。しかし遺族など被害家族が突きつける「職業病を認めよ」という絶叫は、三星本館前の虚空を切り裂くだけで、どこの誰も関心を傾けなかった。結局、ファン氏はエスワン職員らと小競合いをし倒れた。

 "三星相手に勝とうと言うのか" 詰問を聞いたことも
 "佗びしかったです。とても佗びしかったです。"

ファン氏の目じりに涙が溜まった。瞬間、娘の姿がちらついた。坑癌治療を受け、尼僧のように頭を剃った娘のユミが苦しい息を吐き出す その姿が浮かんだ。2006年、自宅に訪ねてきた三星職員に労災処理をお願いするや「お父さんが三星を相手に勝とうと言うのか?」と詰問された時のことも思い浮かんだ。

三星電子半導体工場で仕事をしたファン・ユミ氏は、2005年に白血病の診断を受けた。以後、闘病を続け2007年3月6日、水原の亜洲大病院で治療を終えた後 江原道、束草の自宅へ向かう途中、父親のファン氏が運転するタクシーの後部座席で亡くなった。「私たちのユミが死んだ時の姿を今でも覚えています。苦しいと言いながら後部座席の窓を開けて欲しいと言いました。窓を開けてやると息を一回吸い込んでそのまま目を閉じました。"

三星職員らの足下に転んだまま絶叫したこの日。ファン氏の頭の中には去る数年間の苦痛に満ちた日々が走馬灯のようにかすめた。ファン氏は「いつまで三星にこういう扱いを受けなければならないのだろうか」と心を痛めた。

←2007年、三星電子半導体工場で仕事をして白血病に罹り亡くなった故ファン・ユミ氏の葬儀室に置かれていた遺影。ファン氏の母親が取っておき最近公開された。 写真提供 ファン・サンギ

"裁判所の判決以後も三星からは何の反応もない"
判決以後にも状況は良くならなかった。ファン氏はまだ三星側から何の連絡も受けていないと話した。代わりに今回の労災認定判決と関連して三星が控訴の意思を持っているという話に言論報道等を通じて接しただけだ。

 "謝罪の一言もありません。三星が争い続けると言うなら私たちも争い続けるでしょう。死の原因を明らかにするのは私たちがユミと約束したことです。"

ファン氏は三星が白血病に対する責任を認める時まで、三星本館前で1人示威を止めないことにした。

ファン氏は亡くなった故ファン・ユミ氏の父親として2007年三星電子半導体工場白血病問題を公論化させた人物だ。三星は今まで故ファン・ユミ氏の白血病が個人疾病であるとし、業務上関連性を否認してきた。現在までパンオルリム(半導体労働者の健康と人権守り)に受け付けられた三星半導体やLCD等の電子業者労働者らの被害情報提供は120件を越えた。その内、46人が亡くなり、その大部分が20~30代の若い労働者だった。彼らも一時は三星の‘もう一つの家族’だった。

ホ・ジェヒョン記者 catalunia@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/484866.html 訳J.S