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電気が切れ 粥まで切れた "退路がない"

原文入力:2011/06/28 10:18(1740字)
パク・スジン記者

[8信] 電気が消え…12人だけ残せば電気を供給すると言ったが、8人・6人に減らすことを提案
キム委員 昨日夕から絶食…アパート入り口階段前に警察車壁

←韓進重工業影島造船所に夜の帳が降りた。クレーンの下に小さな灯りが見える。 最後まで残った労働者たちだ。

28日午前7時。85号クレーンの上でキム・ジンスク指導委員があるラジオ放送のインタビューを終え、向い側に向け手を振った。向い側のシンド プレニューアパート入り口階段には依然として40人余りの解雇・非解雇韓進重工業労働者が座っている。

降りてきた労働者、道で眠りを誘う

 今もクレーンの上に残っている労働者は12人だ。去る27日午後10時、12人の労働者だけを残し残り13人の労働者は下に降り会社の外に出てきた。昨夜クレーンから降りた韓進重工業解雇者キム・ヨンジュン(48)氏は「高齢だったりからだの調子が良くない人を中心に降りてきた」とし「風がとても強く、狭くて20人を越える人が共に生活するのは容易でない」と話した。キム氏は「降りてくる気持ちがとても複雑で息苦しく、一緒にいてあげられずとても申し訳ない」と話した。彼は家へ帰る代わりに路上で眠りを誘った。

←警察がクレーンの下を通り過ぎている。

 労働者は食べ物と水が充分でない状況で少ない人員だけを残した方が良いと考えたと伝えた。その過程で会社側に電気が切れた85号クレーンに電気を供給してくれと要求した。労働者は会社側が初めは12人だけ残し残りの人々がクレーン上から降りれば電気を供給することに合意したが、その後 8人、6人とその数字を減らして提案したという。これに伴い、結局 昨晩キム・ジンスク指導委員は電気なしで85号クレーン上で過ごした。電気がなければ暖房などもすべて同時に切れる。

 キム委員は断食の後遺症で胃を傷めており、おかゆしか食べられないが、昨日夕方からおかゆが伝達されず絶食状態だ。クレーン上の他の労働者には家族対策委員会が用役らを通じてご飯を届けている。

 "2003年の再現、だから余計に不安だ"

 向い側でキム・ジンスク指導委員を眺めなければならない労働者たちの心は辛い。チャ・ヘド(52)前韓進重工業支会長はクレーンに向かい合い28日夜を過ごした。
 チャ前支会長は2003年にキム・ジュイク前支会長がクレーンに上がり、クレーンで自ら命を絶つ過程を全て見守った。キム・ジュイク前支会長の49日を行い警察に連行された。その時の整理解雇の嵐が2011年、8年を過ぎても全く同じに吹き荒れた。チャ前支会長は「2003年の再現」と語った。彼は 「だから余計に不安だ」とし「この事件が解決されなければあの人は生きて降りては来られない。この問題が円満に解決されずに物理的に解決されるなら悲劇が起きざるを得ない」と話した。

 今、彼らには退路がない。労使交渉の当事者である労働組合指導部は労使合意案を守るという立場だ。解雇者たちには長い法廷攻防が残った。非解雇者たちは既に労働組合が‘現場復帰’を宣言した以上、もはや会社の命令に従わざるを得ない。

←27日午後、クレーンに残った労働者たち。後に影島の海が見える。午後10時、具合が良くなかったり高齢な労働者がクレーンから降りてきた。

解雇者たちには長い法廷攻防が

 午前8時、警察バス2台がシンド プレニューアパート入り口階段に座っている労働者たちの前に車壁を作った。‘整理解雇撤回’のために174日間 クレーン上で高空籠城中のキム・ジンスク指導委員には供給されていた電気が切れ、解雇者たちには長い法廷攻防が、非解雇者たちには業務復帰命令にどのように対処するかに対する悩みが残った。

釜山/文 パク・スジン記者 jin21@hani.co.kr ・写真リュ・ウジョン記者 ryuwj@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/484824.html 訳J.S