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"日本には負けない" と言っていた慰安婦ハルモニはどこへ…

原文入力:2011-03-14午後09:57:38(1460字)
宮城県居住‘ドキュメンタリー主人公’ソン・シンド氏 連絡途絶
"ソン氏、最近 東京に移住を悩んでいた" 切なさ 加重

イ・ジョンギュ記者

←ソン・シンド氏

1922年忠南儒城で生まれた。16才の時、日本軍に連行され中国のある慰安所でわけも分からぬままに‘従軍慰安婦’となった。日本軍の‘命令’を拒否すれば間違いなく罵りと殴打が浴びせられた。解放後に日本に渡り1993年から2003年まで10年間にわたり日本政府を相手に謝罪と補償を要求し長い法廷闘争を続けた。裁判で敗訴した後 「たとえ(裁判で)日本に負けたとしても私の心は負けなかった」として「戦争は二度と起きてはならない」と一喝した。
日本に住む従軍慰安婦出身生存者 ソン・シンド(89)氏の話を扱ったドキュメンタリー<私の心は負けなかった>(監督アン・ヘリョン)の内容だ。

東日本大地震の被害が続々と明らかになる中で、被害地域に住む‘ソン・シンド ハルモニ’の音信が途切れて切なさを加えている。宮城県に住んでいるソン氏は日本居住の‘慰安婦’女性の中で自身が慰安婦出身であったことを公開的に明らかにした唯一の生存者だ。ソン氏は解放以後 日本で在日同胞と結婚し夫が亡くなった後は一人で暮らしてきた。

‘在日朝鮮人慰安婦裁判を支援する集い’で活動するヤン・チンジャ(54)氏は14日<ハンギョレ>との通話で「地震発生後、ソン ハルモニとの連絡がつかず住んでいられたところを継続的に把握している」としつつ「韓国からきた救助隊がハルモニを探して東京に連れてきてくれることを願う」と話した。この集いは1993年にソン氏をはじめとする慰安婦ハルモニたちが日本政府を相手に出した訴訟を支援するために作られた団体だ。

東京に居住しているヤン氏は「油の供給がされず車両を運行できず、新幹線もなくハルモニがいらっしゃった所まで行く手段がない」として「韓国大使館、現場へ行く日本言論、議会議員など可能なすべての所に援助を要請している」と話した。

最近、ソン氏は東京に引っ越すことを悩んでいたという。ヤン氏は 「歳を取って一人で暮らしているので支援の集いがある所に来ようと考えられたようだ」として「先月、お見舞いの連絡を差し上げ、今月には引越し問題でお伺いしようと思っていた」として無念を語った。ヤン氏は「ハルモニはいつも‘戦場で生き残った人だから何も恐ろしいことはない’と仰っていたが、その経験(戦争)のために地震を一層恐れられるだろう」と話した。

ヤン氏は「ハルモニを東京に迎えることが願い」としつつ「救助隊が行って必ずお迎えして欲しい」と何度も頼んだ。

一方、ソン氏と縁を結んだ国内の多くの人々も彼女の無事帰還を祈った。従軍慰安婦被害者たちが集まって暮らす‘ナムヌの家’のイ・某(83)氏は「私が何もしてあげられなくてとても残念だ」として「ソン ハルモニをはじめとして多くの人々が無事でいて欲しい」と話した。ソン氏のドキュメンタリーを作ったアン・ヘリョン監督も「ハルモニは強靭な方だった。はやく連絡をつけることが優先」と話した。

パク・ポミ記者、仙台/ホン・ソクチェ記者 bomi@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/467962.html 訳J.S