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李明博政権 80年代式言論弾圧

原文入力:2011-03-04 午後07:49:45(1650字)
マスコミ関係者 内外圧力と戦わなければ
任期中の逮捕・収監繰り返し
PD手帳 総入れ替え事態には
「すでに製作陣間引き」
カン・ソンミン記者

「3度の逮捕、3度の収監、7件の犯罪疑惑」。全国言論(マスコミ)労組委員長の任期3年6ヶ月の間、彼が得た「勲章」だ。 SBS「世の中にこうしたことが」、「それが知りたい」を製作して順調だった放送会社のディレクターを拒み、1万5000人のマスコミ労組員代表に「浮気」した代価であった。

2007年9月8日の彼の就任以後、マスコミには李明博政権の放送掌握津波が押し寄せた。メディア関連法改正、チョン・ヨンジュ前韓国放送(KBS)社長解任、韓国放送と文化放送(MBC)ストライキ、朝鮮日報・中央日報・東亜日報の総合編成チャンネルまで。「部屋のすみより道端が気楽だった」闘争の記録を後にして、彼はこれからディレクターに戻る。4日、韓国言論会館18階、マスコミ労組事務室でチェ・サンジェ(50・写真)前委員長に会った。

これから去る彼に、最近発生したMBCのPD手帳「総入れ替え人事」事態が目にありありと浮かんだようだ。彼は「政権の序盤期、放送会社の上層部を掌握したとすれば、今度は現場製作陣までを間引きしようとする作業が進行するのだろう」と診断した。彼は「各社別で対処する問題でない」として「マスコミ労組と して共同対応する方案を論議中」と語った。

過去3年間、マスコミ関係者8人が解職され、60人が起訴、240人が重い懲戒を受けた。先月28日、任期を終えた彼は、就任当時を思い出して「民主政治10年間で、手順を踏んだ民主主義がかなり発展したので、誰が政権を取ってもマスコミの独立性は毀損されることはないと、純真に考えていた」として「80代式李明博(MB)政権のマスコミ弾圧は予想できなかった」と述べた。彼の話はおおげさでない。現職委員長が逮捕されたのは、マスコミ労組の発足(1988年)以後、初めてだ。起訴はクォン・ヨンギル元委員長(1989年、マスコミ論報発行で定期刊行物法違反疑惑)に続き2番目だ。

彼は任期中3回(2008年12月、2009年2月、2009年7月)マスコミ労組ゼネストを起こした、職場全体を対象にしたストライキは初めてだった。 財閥と保守言論の放送進出を許したメディア関連法改正案を阻むためであった。結果的に朝鮮日報、中央日報、東亜日報の総合編成チャンネル進出を防げなかったが、彼はストライキの成果として3点挙げた。「ストライキを通じて総合編成チャンネルの開始を1年6ヶ月遅らせたことで、昨年の自治体首長選挙を朝鮮・ 中央・東亜日報の放送なしで済ませられた。30大財閥企業の総合編成チャンネルへの参加を防いだ。マスコミの公共性に対して市民社会の共感を広げたのも大 きな成果だ」

個人的には受難の時期であった。彼は常に時に関係なく警察に逮捕された。道でサッカーを応援している時、2番目の娘を学校に見送っている時、断食をしている時、手錠をかけられた。彼は「2番目の娘は気立てのよい優しい性格ではないが、逮捕されて何日かして家に帰ると、ひょっとしてまた捕えられるかと思ってチョロチョロついて回って心が痛んだ」と話した。

彼はこれから5~6ヶ月間「それが知りたい」チームへ復職する。大作ドキュメンタリー番組を一編、残すのが希望だ。「私たちが一歩後退したら、議論の道を 閉ざされた市民たちが直接、街頭に出て来て、血を流すほかはない。私たちが勇気を出せば、市民の犠牲を防げるという覚悟で、内外からの圧力と激しく戦わね ばならない」。現職の組合員たちに与える前委員長の要請だ。

文・写真 キム・ジョンピル記者 fermata@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/media/466498.html 訳M.S