原文入力:2008-12-08午後12:06:56
昨年2月遺族会結成…日 同進会と交流
‘強制動員被害’ 日本政府‘知らぬ振り’に鬱憤
←韓国朝鮮人BC級戦犯者 同進会と韓国BC級戦犯遺族会員らが7日午前忠南,天安市,聖居邑の望郷の丘に安置されている戦犯の墓に献奏をしている。 天安/キム・ジンス記者 jsk@hani.co.kr
7日午前忠南,天安,望郷の丘で70代老人たちを含む一群の人々が厳かな姿勢で献花・献奏をした。彼らの国籍は韓国と日本で住む所もばらばらだ。何が年末の強烈な冬風が吹きつける時期に彼らを一つの席に集まるようにしたのだろうか?
共通分母は太平洋戦争が終わった後、異国の土地で解放の喜びを享受することはおろか戦犯という疑惑で処刑されたり刑務所で長期収監生活をして亡くなった韓国人犠牲者たちの遺族という点だ。彼らのお父さんや夫または兄がいわゆるB・C級戦犯として罪に問われ連合国の軍事裁判で審判を受けたのだ。捕虜虐待などの疑惑で処罰を受けたB・C級戦犯5700人中、984人が絞首刑・銃殺刑の宣告を受け、この内、韓国人戦犯が148人で23人が処刑された。大部分は日帝時代に捕虜監視員という軍属身分で動員されて災いにあった。
国内居住遺族たちは周囲の鋭い視線を憂慮して長い間、無念ないきさつを訴えることもできなかった。2年前、‘日帝下強制動員被害真相究明委’で強制動員被害者という決定が下されて昨年2月ソウルで遺族会を結成し、数十年前から日本で名誉回復・補償運動をしてきた犠牲者らの集いである‘同進会’との交流を始めた。
望郷の丘参拝前日の6日にはソウル,麻浦のあるビルの事務室で、韓国と日本犠牲者遺族らの交流会が開かれ同病相憐の痛みを分けた。 カン・トウォン会長(70)等、国内遺族らが日本からきたパク・ネフン同進会副会長など4人をあたたかく迎えた。昨年末、東京で開かれた韓国・日本シンポジウムに続き二度目の出会いだ。それぞれ自己紹介をしながら友情を固めながら、二度とこういう無念なことが起きないように‘真の遺族’としての人生を誓った。
高陽市から来たパク・イルジュン(68)氏は本来の故郷が忠北,鎮川だ。3才の時、父パク・ユンサンが2年の期限で捕虜監視員をすると言って旅立つや、祖母と母が毎朝井戸の周りできれいな水を汲んで無事帰還を祈ったと言った。戦後のある日、赤十字社から父が15年の刑を宣告されたという連絡が来るやいなや母が貯水池に投身自殺をした。祖父母の下で育った彼は「戦争で母まで失ったのは自分だけではないと思う」と涙声で語った。彼の父親は釈放後、日本で同進会活動をして1984年に帰国、97年に亡くなった。
昭島市に住むシライ セツ(76)は娘トシコとともに交流の集いに出席した。実家が千葉である彼女は戦後暮らしがとても大変で東京の方に働き口を求めて出てきて朝鮮人ペ・ジョンマンに会った。当時彼女は20才で男は31才だった。家では朝鮮人とつきあうことに強く反対し結局、家から飛び出し茶碗2つと箸だけで暮らしを始めたと言った。彼女の夫も8年前に恨多き生涯を終えた。彼女は韓国が犠牲者支援を始めるというのに日本政府が何もせずにいると鬱憤を吐露した。 日本側遺族会には数十年間B・C級戦犯問題を暴いてきた内海愛子 恵泉大学名誉教授など7~8人の活動家が同行して補償実現など来年度活動方針を共に議論した。キム・ヒョスン論説委員 hyoskim@hani.co.kr動画hani.co.kr