「今日だけは私もトッテナムのレジェンド」(UEFAヨーロッパリーグ2024~2025優勝直後、ソン・フンミンのインタビューより)
ちょうど1年前「いつもウィナーになりたい」と言い、チームの優勝を誰よりも切に願ってきたイングランドプレミアリーグ(EPL)のトッテナム・ホットスパーの「キャプテン」ソン・フンミン(33)が、今夏にチームを離れることにした。 英語が苦手だった少年は、10年間誰も成し遂げられなかった優勝カップをチームにもたらし、いつの間にかチームのレジェンドになって拍手されながら旅立つ道を選んだ。
「トッテナムの伝説」(プレミアリーグ事務局)ソン・フンミンは10年間、チームの歴史に刻まれる記録を残した。2015年、ドイツ・ブンデスリーガのレバークーゼンを離れ、移籍金2200万ポンド(約43億円)でトッテナムに入団したソン・フンミンは、10シーズン454試合に出場し、173ゴール101アシストを記録した。トッテナムの歴代ゴールで5位、最多アシスト1位の記録だ。得点方式も右足99ゴール(57%)、左足69ゴール(40%)、ヘディング5ゴール(3%)で、特有の両足での得点能力を立証した。プレミアリーグの記録だけを見ると、333試合に出場し、127ゴール(トッテナム歴代2位)と71アシスト(1位)を残した。
ソン・フンミンは2021~2022シーズンに23ゴールを決めてアジア選手初のリーグ得点王に輝き、「ゴールデンブーツ」を獲得した。これは特に、たった一つのペナルティーキックもなく、全てフィールドゴールだけの記録で、より大きな意味を残した。また、2019年12月のバーンリー戦で70メートルの単独突破でゴールを決め、韓国人初の国際サッカー連盟(FIFA)プスカシュ賞を受賞した。
ソン・フンミンはトッテナムで念願の優勝も果たした。キャプテンとしてヨーロッパリーグ2024〜2025でチームを優勝に導いた。トッテナムのレジェンドと呼ばれるギャラス・ベール、ハリー・ケイン(バイエルン・ミュンヘン)も果たせなかった偉業だった。プロデビュー以後、キャリア15年目にして初めて掲げた優勝カップであり、チームにも17年ぶりに獲得した優勝トロフィーだった。「ソン・フンミンはトッテナム現代史において最高の選手として、ケインを越えるかもしれない」(ザ・アスレティック)など、彼に向けた現地メディアの好評も続いた。
「あまり英語がしゃべれなかった少年が、大人の男性になって、(チームに)別れを告げることになった」という彼の言葉のように、チームと共に成長したソン・フンミンは常に仲間たちと一緒だった。中でも最高に相性が良かったのは「ソン-ケ(イン)デュオ」の主人公、ケインだ。ソン・フンミンはケインと8シーズン、リーグ史上最も多い47ゴールを生み出した。マウリシオ・ポチェッティーノ監督時代の「DESKライン」(デリー・アリ、クリスチャン・エリクセン、ソン・フンミン、ケイン)も欠かせない。ソン・フンミンは彼らと共にリーグ最高の攻撃力を誇り、チームの全盛期を導いた。
ソン・フンミンは2023年からチームのキャプテンを務め、副キャプテンのクリスティアン・ロメロ、ジェームズ・マディソンとチームを2年間率いた。ソン・フンミンはチームの規律はもちろん、特有の親和力でロッカールームと練習場で和気あいあいとした雰囲気で団結を導いた。特にマディソンとは厚い友情で知られた。
10年間にわたり競技場の内外でソン・フンミンを守ってきた「親友」ベン・デイビスの存在も欠かせない。ソン・フンミンはデイビスを「家族のような存在であり、最も信頼できる人」だと語るほど信頼が厚く、デイビスの息子、ラルフのゴッドファーザーでもある。デイビスは「長年の同僚であり友人が去ることに失望したが、それでも(私の決定を)尊重してくれた」とソン・フンミンは伝えた。
ドイツとイングランドに次ぐソン・フンミンの新天地は米国が有力視されている。海外メディアなどは米大リーグサッカー(MLS)のLAFC行きを予想している。英国メディア「フットボール・インサイダー」はソン・フンミンのファンダムで発生する収益が1シーズン当たり4000万〜6000万ポンド(78億〜117億円)に達すると推算した。