「仙甘学園の問題は、もう特別法の制定へと向かうしかありません」
「仙甘学園事件被害者支援センター」のイ・ヒャンリム相談室長(61)は、被害者の自助団体「仙甘学園児童被害対策協議会」の幹事を兼ねてきた。協議会の各種イベントの企画や書類作業をはじめとする様々な雑務を担いつつ、10人あまりの客員カウンセラーと共にこの1年間にわたって250人あまりの被害生存者の状況を調査するとともに、トラウマのカウンセリング治療をおこなってきた。イ室長は5月から、京畿道から給料の出る相談室長のポストを降り、無給の協議会幹事としてのみ働くことを決めた。心理治療のモデルは作ったので、今後は仙甘学園特別法の制定と仙甘学園後援会に集中したいからだ。それだけ特別法が重要だと判断したわけだ。イ室長は6日、ソウルの旧把撥(クパバル)駅そばのカフェでハンギョレの取材に応じた。
先月26日に真実・和解のための過去事整理委員会(真実和解委)から2度目の人権侵害の真実究明決定が下された「仙甘学園児童人権侵害事件」は、韓国現代史で最も醜悪なもののひとつだ。1942年に朝鮮総督府が設立したこの浮浪児童収容施設は、解放直後に京畿道が引き継ぎ、1946年から1982年まで運営した。京畿道の5級公務員が交代で園長を務め、貧民階層の10歳前後の数千人の児童を、本土から離れた安山(アンサン)の仙甘島(ソンガムド)に拉致。監禁し、飢えさせ、殴り、強制労働させ、死んだら密かに埋葬した。仙甘学園の近くには、墳丘のない墓が170あまりある。脱出して行方不明になった子どもは834人にのぼる。
イ室長はこのことを「韓国現代史の謎」と述べた。「にっちもさっちもいかない」という表現も用いた。京畿道が直に運営していたため、他の民間機関に責任を転嫁できないからだ。公務員や政治家たちにせめて「最小限の概念」があったなら、40年間このような施設が存続することはできなかっただろう。イ室長は「京畿道は、現在も京畿道に居住する仙甘学園の被害者のみを支援しており、差別だという批判を受けている。この問題を解決するためにも特別法が必要だ」と語る。
イ室長は児童人権に目覚める機会を早くに得た。大学卒業後の1988年から京畿道富川市若大洞(プチョンシ・ヤクテドン)の貧困地域で10年以上にわたって託児所や「勉強部屋」(社会運動が支える学童保育。現在は公的補助を受ける地域児童センターが各地にある)活動をしてきたおかげだ。毎日残業して夜遅く帰ってくる20代の親たちは、大半が無学か小卒だった。子どもたちは毎日のように宿題ができていなかったり、書き取りの試験ができなかったりで、間違った答の数だけ手のひらを棒で打たれて(韓国の伝統的な子どもに対するお仕置き)家に帰ってきた。託児所は自然と「勉強部屋」になった。2000年代初めに公演芸術治療の大学院課程を終えてからは、京畿道軍浦(クンポ)と全羅北道茂朱(ムジュ)でヒーリングとコミュニケーションをテーマにした心理治療活動をおこなった。その過程でも虐待を受ける児童と出会う機会があった。そして2020年に仙甘学園の被害生存者たちと出会った。彼らこそ、本当に殺伐とした環境に置かれた児童人権侵害の被害者たちだった。
「仙甘学園の被害生存者たちは、1回限りの災害によるトラウマとは異なる複合トラウマ症状を抱えてきました。長い間、集団的かつ体系的に加えられた暴力にさらされてきた結果です」。彼らはパニック障害の初期症状のように頭の中が白くなったり体がこわばったりして、過去の記憶から攻撃されることが多いが、70代のおじいさんが10代の少年に退行して赤ん坊のような声を出したりもするという。昨年主に集中したトラウマ治療は、自律神経系の安定化のための呼吸を行い、自らをケアする第1段階だった。今年はネガティブな記憶に圧倒されずに対人関係を構築できるようにするカウンセリング活動を主に行う予定だ。相談室長からは退くが、客員相談士としてカウンセリングを担う。
イ室長によると、仙甘学園の被害生存者たちは、年を取っても男性と同じ部屋を使うことができない。男性の多い組織には適応できない。子どもの時に仙甘学園にまん延していた性的暴行被害のせいだ。「思春期の少年数十人を横向きに、裸で寝かせていました。頭、足、頭、足と並ぶ69の姿勢でです。寝ている間に背中を伸ばすと、その隊列が乱れるのでたたかれました。就寝前の点呼の時間には、ほぼ毎日つるはしで殴られたそうです」
イ室長は、被害生存者たちが孤独死と物質的な窮乏を心配することなく温かい老後が送れるよう、国が配慮すべきだと主張する。そのために、安山市檀園区(タヌォング)仙甘洞の京畿創作センターの隣の旧仙甘学園の建物を復元し、人権平和博物館を建てる京畿道の「仙甘跡」プロジェクトに、被害者のためのシルバーケアタウンを加えることを提案する。しかし長期療養に関する現行法においては、1部屋に複数人が収容されることになる。イ室長は1人1室が必要だとしつつ、それを可能にするのは特別法以外にないと言う。
特別法の最終的な目標は、仙甘学園の被害生存者たちが大人らしく生き、幸せに年を重ね、恐れなく世を去ることができるようにすることだ。現在、真実和解委で2度にわたる真実究明決定を受けた仙甘学園の被害生存者は230人(1次167人、2次63人)。園児台帳が確保されている人の数は5759人だ。真実和解委の真実究明は終結しても、京畿道は被害者の届け出を継続して受け付けている。3カ月に1度、京畿道庁で仙甘学園審議委員会が行われ、被害者かどうかが確定される。問題は京畿道民に限定されていることだ。イ室長は「だからこそ、なおさら特別法が必要だ」と述べる。「特別法が制定されたセウォル号はトラウマ治療予算が年間40億ウォン(約4億4千万円)です。私たちは京畿道から支給される2億5000万ウォン(約2700万円)がすべてです」
仙甘学園は児童保護施設ではなかった。先月、真実和解委は2度目の真実究明決定文で、「仙甘学園は京畿道が道有財産の管理のために児童を利用した施設だった」と述べている。イ室長が「自治体と国が全面的に責任を取るべきだ」と主張する理由はここにある。「協議会の仕事だけだと月給は出ないのに、どうするつもりなのか」と尋ねると、イ室長は「フリーランスのカウンセラーとしてアルバイトをすれば大丈夫」と答えた。イ室長は現在、心理治療センター「香りの森ヒーリングフレンズ」の代表も務めている。