記者が一つの機関を任されて取材する出入先制度の下では、出入記者たちは本来自分とはあまり関係のない組織に準内部者のように出入りすることになる。そうして何カ月、何年もその機関に出入りしてそこの人々と接触していると、意図せず彼らの深い苦悩も聞くことになる。やはり共感しやすく、耳を傾けやすいのは同世代の話だ。
政府省庁を出入りすることで出会った若い公務員たちの最近の最大の悩みは「将来設計」だ。若者が未来に関心を抱くのは当然だが、問題は青写真を描いているケースがあまりないということだ。公務員として生きていくことが果たして後悔のない人生なのか、疑問が次第に膨らんでいるということだ。悩んだ末に「決断」を下すケースも増えている。公務員年金公団が国会政務委員会のソン・ソクチュン議員(国民の力)に提出した資料によると、2018年には5761人だった20~30代の公務員退職者数が、昨年は1万1067人となり、たった4年で2倍ほどに増えていた。
公務員の離職の行列に目が行くのは、彼らがその地位を手に入れるまでには長きにわたる多大な努力があったからだ。若い公務員は1990年前後に生まれた人たちが主軸を成すが、彼らは学校に通っていた時代から絶えず競争し、公職という地位に就いた。彼らが生まれた90年代初めの新生児数は1991年が70万9千人、1992年が73万人、1993年が71万5千人、1994年が72万1千人と、毎年70万人を超えていた。その当時も出生率は下がりつつあったが、親の世代が年間100万人以上生まれた60年代生まれのベビーブーマーだったため、新生児数はある程度保たれていた。
だが、80年代に企業から入社を誘われ、各自が能力や適性に合わせて難なく就職先を見つけられた親世代とは異なり、彼らに与えられたチャンスは小さかった。2010年代、就職市場は大きく萎縮しており、同世代たちは互いを打ち負かすべき競争相手だととらえ、チャンスを勝ち取らなければならなかった。今年、行政職5級に合格するまでにかかった平均受験期間は41.6カ月だった。そのような少なからぬ期間を埋没費用にしてまで退職を敢行するのは、今のままでいればそれよりはるかに大きな機会費用を支払わなければならなくなるかもしれないと判断したからだろう。
果たして今、公職では何が起きているのだろうか。物価は高騰しているのに、今年の9級1号俸の公務員の基本給は177万800ウォン(約19万6000円)で、時間当たり最低賃金9620ウォン(約1060円)を適用した最低月給201万580ウォン(約22万3000円)より少ない。これまでは公務員の最大の長所の一つだった雇用の安定性についても安心できない。統一部は先月6日、定員を81人削減する組織再編が最終確定したため、人事を発令した。このうちのかなりの数が、適当な転職先を見つけられないまま自主教育、国外訓練や退職教育への派遣、休職などを命じられた。長寿時代の公務員年金から得られる恩恵も、先輩公務員が得た水準には及ばない。
若者には愛国心と功名心がないから公職社会を去っているのだと言う人もいる。しかし、最近辞表を提出したある公務員は「(自分が働いていた)この職場にとても愛着があったし、仕事も好きだったのだが、この場所では自分の未来が描けないため辞めざるをえなかった」と語った。不合理な評価と勤務のきつさ、低賃金などに言及したこの退職者は「人口の壁がはじまって公共分野が民間と人材獲得競争をする状況に直面すれば、公職社会に来たがる人材は事実上いなくなるだろう」とやるせない胸の内を語った。
シン・ヒョンチョル|統一外交チーム記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )