秋の鴨緑江(アムノッカン)・豆満江(トゥマンガン)は豊かでおおらかだ。「新冷戦にとどまらず熱戦の恐れがある」という懸念の声があがるほど、朝鮮半島と北東アジアの情勢は危ういが、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)と中華人民共和国の国境は至って平和だ。
朝中の国境は「線」ではなく「面」だ。
1334キロにわたる長い国境をなしている鴨緑江と豆満江の水面全体が国境だ。朝中両国は鴨緑江と豆満江を共有する。河川、水路の中央線を国境線とする国際法上の一般原則とは異なる形だ。国境特有の「分離」ではなく協力と交流、融合を前面に掲げている。朝鮮半島で最も長い川(長さ803.3キロ)の鴨緑江の水豊(スプン)、太平湾(テピョンマン)、渭原(ウィウォン)、文岳(ムナク)、望江楼(マンガンヌ)、雲峰(ウンボン)の各発電所で生産した電気も両国が半分ずつ分け合う。
南と北の完全な分離・対峙(たいじ)線である休戦ライン(248キロ・155マイル)より5.4倍も長いのに、これまで大規模な武力衝突を含む国境紛争が一度もなかった。中国の15の国境の中で最も平和な国境だ。
中国国務院が2016年1月、「超国境観光合作区」に指定した丹東市の観光名所である鴨緑江断橋は、秋を楽しむ中国人観光客で賑わっていた。鴨緑江断橋は1950年10月19日、中国人民支援軍が朝鮮戦争に参戦するために渡っており、米軍の爆撃で破壊された歴史のある「朝中親善」の象徴だ。中国政府が強調する「紅色観光」(レッドツーリズム)の代表的観光地だが、断橋に足を踏み入れるためには50人民元の入場料を払わなければならないという「資本主義的な観光地」でもある。新義州(シイジュ)をより間近に見るためには、30分90人民元の遊覧船の搭乗券を買わなければならない。
中国政府の本音がどうであれ、多くの中国人観光客は鴨緑江と新義州を背景にした記念撮影に余念がなかった。写真の背景には新義州の新たなランドマークに浮上した巨大な円形の「一心団結マンション」と3棟からなるトリプルタワーマンションが入る。これらはいずれも2020年1月の新型コロナウイルスの大流行による国境閉鎖後も工事が続き、完成した。砂利採取運搬船が鴨緑江を忙しく行き来しており、新義州港には以前とは異なり無煙炭の代わりに砂が山のように積まれている。新義州は今「工事中」だ。
新義州だけではない。北朝鮮で最も立ち遅れた地域と呼ばれる両江道(リャンガンド)の鴨緑江周辺には農村全体を再開発する工事が進められているところが多い。華やかな色の新築文化住宅やマンションと、今にも崩れそうな古びたモノトーンの平屋住宅、多くの人たちが集まってレンガを積み上げる村の再開発現場などが続き、鴨緑江と豆満江沿いの国境の村の風景を変えている。
1990年代初め以降、20年以上何の変化もなく廃墟として放置されていた静かな国境の村では2014年から新築と改築の動きが始まり、時間がたつにつれ加速し、拡散している。静けさが無気力の別の顔なら、変化は活力の別の顔だ。
「苦難の行軍」と呼ばれた1990年代、食糧難に立ち向かった国境地域の北朝鮮人民の凄絶な生存闘争の現場である「個人畑」(山の斜面に違法に作られた隠し畑)も減少傾向にある。ある北朝鮮経済の研究者は「コロナ禍前の2019年より、個人畑が5~10%は減ったようだ」とし、「個人畑より良い経済活動ができるためとみられる」と語った。
鴨緑江と豆満江に沿って朝中国境の1334キロを見回る過程で出会った多くの人々は、チョ・テヨン国家安保室長が「北朝鮮経済が3年間マイナス成長して食糧難が激しくなり、餓死者まで出てくる状況だ。現政権が終わる前に北朝鮮がこれ以上持ちこたえるのが困難な時期も来るかもしれない」と豪語したことについては、「実状を知らないがための的外れな話」だと指摘した。
豆満江沿いの図們の農村で生まれ育った40代半ばの朝鮮族同胞は、「たまに朝鮮(北朝鮮)に行ったりもするが、状況が少しずつ良くなっているようだ」とし、「(金)正日(総書記)より(金)正恩(委員長)時代の方がましだ」と語った。
とは言え、鴨緑江と豆満江は単に平和だというわけではない。北朝鮮の核・ミサイル開発に対する国連と米国の長期にわたる強力な制裁と「大韓民国」という変数が暗く複雑な影を落としている。
(2に続く)