「ドンギュには申し訳ないけど、今日は納骨堂に行けませんでした」
5日午後、ソウル中区(チュング)のソウル図書館(旧ソウル市庁)前に設けられた合同焼香所で会った故キム・ドンギュ君の母親アン・ヨンソンさん(47)は、毎週日曜日に息子の納骨堂を訪れるという約束を守れなくなった。この日の前日にソウル広場前に設置した焼香所をソウル市と警察がいつ撤去するか分からないからだ。アンさんは「息子の遺影が置かれた合同焼香所が安全だと思えない限り、そこを離れることはできない」と語り、目を潤ませた。
梨泰院(イテウォン)惨事発生100日を迎えたこの日、遺族と市民は衝突の末に設置した合同焼香所を守っていた。
前日、ソウル広場前に焼香所を新たに設ける過程で遺族たちは警察やソウル市庁の公務員たちと衝突した。警察は光化門(クァンファムン)広場に車両の壁を設置し、機動隊約3千人を投入して焼香所の設置を遮断した。だが、遺影を持った遺族と宗教家たちが「ハロウィンデーに人が集まった時には何をしていたのか」などのスローガンを叫び、警察機動隊の一部を押し出して焼香所を設置する空間を作り出した。この過程で梨泰院惨事の犠牲者遺族がしばらく意識を失って病院に移送される場面もあった。結局、遺族たちは1時間以上の対立の末、ようやく159人の遺影を並べる空間を確保できた。
だが、ソウル市は「不特定の市民の自由な使用を保障しなければならない広場に施設物を許可なく設置することは許されない」とし、「6日午後1時までに焼香所を撤去してほしい」という内容の「行政代執行戒告状」を渡し、強硬な態度を示している。ソウル市はこの日、立場表明文を発表し「市民の立場で考えるしかない行政機関として、このような施設の無断設置を放置するわけにはいかない。行政執行計画は変わらない」として焼香所の撤去を重ねて求めた。
遺族たちはソウル市のこのような態度に涙と怒りの中で焼香所を守っている。この日、国会議員会館で開かれた国会追悼祭に参加した故イ・ジハンさんの父親のイ・ジョンチョルさん(遺族協議会代表)は「遺族は市庁広場前で梨泰院惨事100日追悼祭を行いました。昨日やっと小さな焼香所を設けました。ソウル広場の焼香所を撤去しようとするなら、ガソリンを用意して子どもたちの後を追います」と泣き叫んだ。故イ・ヘリンさんの妹のイ・ヘジュさん(24)は「100日も過ぎたのに、何も変わっていない。これからはソウル市が焼香所を撤去するのではないかと心配しなければならなくなった」と怒りを込めて語った。彼らは真冬の冷たい風に耐えながら24時間交代で焼香所を守ることにした。
遺族たちは、これまで設置されていたソウル市龍山区(ヨンサング)の緑莎坪(ノクサピョン)駅の焼香所はアクセスが悪く、新自由連帯の2次加害が続いてきたため、ここに焼香所を移せざるを得なかったと説明した。故ソン・チェリムさんの母方の叔父、ナム・ユンホさん(46)は、「緑莎坪駅の焼香所はアクセスが悪く、狭いため、多くの市民が訪れることが難しい。さらに新自由連帯が引き続き2次加害を加えているため、遺族が激しいストレスを受けた」と話した。
新たに設けられた焼香所には、同日午後までに多くの市民が訪れた。2015年にバイク事故で息子を亡くしたというNさん(64)は、「緑莎坪駅の市民焼香所にも行ったが、どうしても場所が交通の便が良くなく、空間も狭かった。ここならさらに多くの市民が遺族を慰めることができそうだ」とし、「子どもを亡くした親の心は時間が経つにつれてさらに苦しくなるものだが、ソウル市や政府が苦痛を与え続けてているようで胸が痛む」と話した。
一方、遺族協議会と市民対策会議は同日、ソウル中区貞洞(チュング・チョンドン)のフランシスコ教育会館大聖堂で開かれた惨事100日ミサに参加し、惨事犠牲者を追悼した。