原文入力:2010-01-21午後09:19:38(1664字)
[民主労働党10年 進歩政治10年]①誕生成長の屈曲史
イ・ジョンエ記者,ソン・ホジン記者,キム・ポンギュ記者
←カン・キガプ民主労働党代表(右から2番目)が去る13日午前、国会で新年記者会見を行い「地方選挙前までに進歩新党をはじめとする諸政党,社会団体代表らと進歩大統合の共同合意文を作る」と明らかにしている。右側からイ・ジョンヒ政策委議長,カン代表,オ・ビョンユン事務総長,ウ・ウィヨン スポークスマン. キム・ポンギュ記者bong9@hani.co.kr
民主労働党が30日で創党10周年をむかえる。以前の進歩的政党とは違い民主労働党は持続性や活動性の側面で微弱でも制度圏の新たな一つの軸を形成してきた。<ハンギョレ>は民主労働党創党以後に本格的に始まった進歩政治10年を評価し、これから進む道を3回にわたり探ってみる予定だ。
進歩政党10年 歩んできた道
創党4年で10人当選‘院内第3党に’
果てしない内部葛藤・闘争…大統領選挙惨敗後 分党
党員 急減… "新たな進歩価値 発掘しなければ"
民主労働党の議員たちは去る一年をほとんど炎天下と凍える国会本会議場前中央ホールで過ごした。何度にもわたる断食座り込みも続いたが、叫びは帰ってこないこだまとなった。少数政党の鬱憤が入り混じった‘空中浮遊’はかえって暴力的イメージだけを浮き上がらせて袋叩きにあった。創党10年をむかえる民主労働党の現住所だ。
創党当時、綱領制定委員長を引き受けたアン・ビョンウク カトリック大教授は「保守政権の執権により進歩的価値は絶えず挑戦を受けているが、民主労働党には新たな進歩的価値を発掘する努力をほとんど見られなかった」と診断した。
民主労働党は1997年大統領選挙の時、クォン・ヨンギル候補を支持した‘国民勝利21’を母胎として誕生した。1958年の進歩党事件以後、命脈が切れたかに見えた進歩政党の命脈を引き継いだわけだ。アン・ビョンウク教授は「民主労働党は進歩政党運動を現実政界に進入させたという重要な成果を成し遂げたが、以後には進歩運動の自己功労評価だけに埋没した」と評価した。
草創期の民主労働党には斬新さと清潔さに基盤を置いた‘革新’があった。真誠党員制の導入とこれらによる党職・公職選出制度が代表的だ。院内議席が一つもない状態でも市民団体と共に‘店舗賃貸借保護法’を制定することもした。
民主労働党は‘1人2票制’が導入された2004年総選挙では13.03%の政党得票率を得て地方区議員2人,比例代表8人など10人の議員を当選させ院内第3党に跳躍した。党支持率も18%まで跳ね上がり、ノ・フェチャン,シム・サンジョン議員は一躍‘スター議員’に浮上した。
だが院内進入以後、党内政派間対立は日に日に激しくなり、大統領選挙敗北後の2008年2月3日、分党事態に至った。離党した人々は進歩新党を作り‘分家’した。分党以後に行われた総選挙での民心は冷たかった。議席は半分になり8万人に達した党員も6万5400人まで減った。
民主労働党は‘2017年執権’計画を目標に今回の地方選挙までに進歩新党との統合を意気込んでいる。だが進歩新党側は「違いを引っ込めて‘再び民主労働党’になることはできない」と一線を画している。
チョ・フィヨン聖公会大教授は「既存の民主労働党は民族問題と階級問題に対応する2つの変革運動の基盤上に立っていたが、これをよく調和させることができなかった」とし「今は現実に合う新たな進歩に刷新し時代精神を先導しようとする努力が必要だ」と話した。
イ・ジョンエ,ソン・ホジン記者hongbyul@hani.co.kr
←民主労働党の社会発展寄与度
原文: https://www.hani.co.kr/arti/politics/politics_general/400354.html 訳J.S