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[記者手帳]アフガン人を迎える韓国人の姿勢

登録:2021-08-27 05:17 修正:2021-08-27 08:40
[現場から]「人がやって来るというのは実はすごいこと」 
新たな客人たちがアイデンティティーを守りつつ韓国社会の立派な一員となれるように
アフガニスタンのカブール空港で、韓国の外交官と友好国の兵士が「KOREA」と書かれたカードを持って韓国に向かうアフガン人を探している=外交部提供//ハンギョレ新聞社

 「私の名前は○○○です。夫、2人の息子と一緒です」

 薄い茶色のチェック柄のヒジャブをかぶったアフガニスタンの女性は24日、パキスタンのイスラマバード空港で行われた外交部とのインタビューで、落ち着いた笑顔を見せようとした。30代前半ほどに見える彼女と駐アフガン韓国大使館の縁は、すでに数年前からのものだ。韓国行きを決心したことについては、「簡単な決定ではなかったが、そうしなければならなかった」と語った。アフガンに残っている限り、米国の同盟国である韓国に協力した自分と家族にタリバンがどのような報復をするか分からなかったからだ。結局、固い決心で大使館に向かい、「私と家族の命を助けてほしい」と訴えるに至る。

 26日午後、仁川国際空港で378人(全体では391人)のアフガニスタン人が韓国の地を踏む。世界10位圏の小さな大国へと成長した韓国の国力や「共に働いた同僚たちの直面する深刻な状況に対する道義的責任」(チェ・ジョンムン外交部第2次官)などを考えると、迅速な政府の判断に拍手を送りたい。しかし、このように多くの人々を一度に韓国に移送したのも「韓国の外交史で初めて」であるため、あれこれ心配が先立つのも事実だ。2018年に済州島(チェジュド)で起きた「イエメン難民」事態のように、些細な一つの事件が韓国を訪れたアフガン人に対する激しい「憎悪の熱風」へとつながる可能性もある。こうした懸念のためか、政府は彼らのことを「絶対に」難民ではなく、特別功労者であると努めて説明している。

 外交部が25日に担当記者団に公開したインタビュー動画によって改めて確認できたのは、集団の中に交じった数多くの子どもたちの存在だった。5、6歳ぐらいの男の子がインタビューの光景を不思議そうに眺めながら画面の後ろの方でうろうろしており、インタビューの後半部分では母親に抱かれてむずかる赤ん坊の泣き声も聞こえる。実際に今回の入国者たちは、タリバンの報復を避けるために家族単位(76家族)で脱出した人たちだ。この作戦の実務を担当した国防部国防政策室のキム・マンギ室長は「親が若いので子どもたちがたくさん入国してくるのが特徴」と述べた。実際に6歳未満の乳幼児は118人、6~10歳の子どもは80人あまりに上る。

 韓国に定着することになるアフガン人を待つのは、恐らくいつ終わるとも知れぬ「ディアスポラの人生」だろう。タリバン政権が続く限り、彼らは再び故国の土を踏めないかもしれない。インタビューに応じた40代とみられる男性は「母と他の家族は置いてきた」と泣き顔だったが、一生「離散の痛み」を胸に秘めて生きねばならないように思われた。もう一つの苦悩は、大切な子どもたちの将来だ。彼らは在日、朝鮮族、高麗人がそうであったように、自分の属する国である韓国の言語を学び、韓国の学校に通うことで、韓国社会の一員として成長しなければならないだろう。

 そんなことを考えていたら、ふと10年あまり前に会ったあるパキスタン人と韓国人のカップルのことが思い浮かんだ。パキスタン出身のパク・イスラールさん(当時41)は1994年に京畿道安養(アニャン)で韓国人の女性と出会い、2年後に結婚した。彼が韓国国籍を取得したのは、それから8年後の2004年だった。息子のハビビ君(9)は私に「先日テコンドーで1品を取った」と自慢した。顔が浅黒いことを除けば間違いなく韓国の子どもだった。パクさん夫婦が韓国社会の根深い人種差別と排除の文化に対して、長々と悲しみをぶちまけていたことが忘れられない。

 詩人のチョン・ヒョンジョンは「人がやって来るというのは/実はものすごいこと」(「訪問客」)と歌った。植民地と分断へとつながる痛ましい現代史を経験した韓国社会は、アフガン人の痛みに共感する準備ができているだろうか。離れた国のアイデンティティーを新たな客人が失わずに、韓国社会の立派な一員となれるよう、みなが共に温かな心で迎えてくれればと思う。

キル・ユンヒョン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/politics/diplomacy/1009247.html韓国語原文入力:2021-08-26 15:44
訳D.K

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