「(強制動員被害者の賠償問題が)解決されず、時間は過ぎていくのに何も変わらないから、気になる。裁判をしても何の効力もなく権威もないのかと思うと、もどかしい」
光復76周年を迎えた15日、日本製鉄の強制労働被害者であるイ・チュンシクさん(97)が固い表情で口を開いた。これに先立ち、イさんは2018年10月30日、日本製鉄(旧新日鉄住金)を相手取って起こした損害賠償訴訟で原告勝訴の確定判決を言い渡された。しかし日本政府は、この判決が1965年の韓日請求権協定に反すると主張しており、日本製鉄は同じ趣旨の訴訟で敗訴した三菱重工業とともに、韓国最高裁(大法院)の判決を履行していない。イさんは「外交部は日本との交渉や外交をうまく行っていないようだ」とし、「日本企業は大韓民国にこのような人(強制労役被害者)がいると言われれば、とりあえず謝るべきなのに、無関心を貫いている」と語った。
民族問題研究所とキョレハナ(同胞は一つ)運動本部など20余りの団体で構成された「強制動員問題解決と対日過去清算のための共同行動」はこの日午後12時、ソウル龍山区(ヨンサング)の植民地歴史博物館で「光復76周年を迎え、強制動員謝罪賠償要求オンライン記者会見」を開いた。新型コロナウイルス感染症の感染拡大により、強制動員被害者たちと連帯発言に出た人々はオンライン記者会見に参加した。
強制動員被害者たちの発言には、時間の経過にもかかわらず日本政府と企業の反省がない現実に対するもどかしさと憤りが込められていた。彼らは韓国政府と政界に積極的な対処も求めた。
1944年、「中学校に進学させてあげる」という日本人校長に騙されて名古屋の三菱重工業航空機製作所に動員されたヤン・クムドクさん(92)は「日帝強占期(日本の植民地時代)に幼い生徒たちが(日本に)行って苦労をしたのに、(謝罪の)一言もないのがあまりにも残念だ」とし、「日本に行って『私があなたたちの国に来てこんなに苦労をしたのに、謝罪は一言もない』と直接言いたいけど、誰も私を日本に行かせてくれない。独りで涙を流しながら、『自分のせいだ』、『自分は運が悪かった』と自分に言い聞かせ、堪えるしかない」と語った。 日本人の教師に騙されて富山の不二越鋼材工業の軍需工場に連れて行かれたキム・ジョンジュさん(90)も「補償も受けられずに死ぬのかと思うと、あまりにも悔しくて、胸が張り裂けそうだ」とし、「韓国政府と国会議員が何とかして日本で働かされた人たちが補償を受けられるように手助けしてくれることを切に願っている。若者たちも私たちが国を奪われて日本に行って苦労したことを分かってほしい」と話した。強制動員被害者遺族である太平洋戦争被害者補償推進協議会のイ・ヒジャ代表は「(強制動員)被害者たちが生きているうちに強制動員問題が解決され、先にこの世を去った方々に、私たちは生きている間に日本に謝罪を受けることができたと堂々と言える日を心待ちにしている」と語った。
日本市民社会からの連帯発言もあった。「日本強制動員問題解決と過去清算のための共同行動」の矢野秀喜事務局長は、「最高裁判決から3年が経ったのに、勝訴判決を受けた被害者が日本企業から謝罪も賠償も受けていない。被害者に残された時間はあまりない」と述べた。彼は「日本企業は自らの企業倫理と行動規範に基づいて正当に判決を履行し、被害者の権利を取り戻すために努力しなければならない。それだけが企業の価値を高める道」だとし、韓日間の連帯を強化しなければならないと強調した。
「勤労挺身隊ハルモ二(おばあさん)と共にする市民の会」のイ・グクオン共同代表や、ソウルキョレハナのメンバーのチョン・ジエ氏はそれぞれ光州とソウル日本大使館前で日本の謝罪と判決の履行を求めた。彼らは、植民支配行為による損害賠償請求権には消滅時効を適用しない特別法の制定に乗り出すべきだと主張した。
ユーチューブでオンライン記者会見を視聴した市民はコメント欄で発言が終わる度に「拍手」のスタンプを送ったり、応援の言葉を残したりする方法で記者会見に参加した。