光復・解放70周年の2015年8月15日、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)は標準時間をこれまでより30分遅らせ、「平壌時間」と称した。世紀をまたぐ分断のなかでも“同じ時間”を生きていた南と北の時空間が分かれた。
公式説明は以下のようなものだった。「日本帝国主義者らは標準時間まで奪う犯罪行為を強行した。日帝の百年の罪悪を決算し… 金日成(キム・イルソン)同志と金正日(キム・ジョンイル)同志の不滅の尊名によって輝く白頭山大国の尊厳と威容を永遠に…」(最高人民会議常任委政令第599号、2015年8月5日決議、8月7日発表)
平壌時間の制定は「日帝の残滓の清算」措置という発表だ。理解できないでもないが、苦しい言い訳だと言わざるを得ない。「社会主義朝鮮の始祖」(金日成主席)と「万古絶世の愛国者」(金正日総書記)の時代にも、北朝鮮は日本と同じ標準時間を使ってきた。二人の「永遠の首領」の抗日意志を問題視するのでなければ、「平壌時間」の制定に「日帝による百年の罪悪の決算」を持ち出すのは説得力に欠ける。
実際、その影響は、これといった交流のない朝日の間ではなく、南北の間で現れた。南北が共に働いていた開城(ケソン)工業団地では平壌時間の制定後、初勤務日の2015年8月17日(月)に南側人員の境界の出入りや勤務時間の調整など、様々な混乱が後を絶たなかった。当時、朴槿恵(パク・クネ)政権は「北朝鮮が一方的に標準時の変更を発表したことは遺憾」であり、「南北間の異質性がさらに深まることが懸念される」という統一部報道官論評を発表した。しばらくの間、「午後3時の南北会談、なぜ3時30分に開かれたのか」などの皮肉めいた記事が相次いだ。
平壌時間は993日で歴史の彼方に消えた。2018年4月27日の板門店首脳会談で金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長が平壌時間を従来の標準時間に戻すと約束した後、「平壌時間を現在の時間より30分早い時間」に修正し、「主体107(2018)年5月5日から適用する」という「最高人民会議常任委政令第2232号」(2018年4月30日)が発表された。
「労働新聞」は2018年4月30日付の1面記事で、従来の標準時間に戻ったいきさつをこのように報じた。「最高指導者(金正恩)同志は首脳会談の場所に平壌時間とソウル時間を示す時計がそれぞれかかっているのを見て、非常に胸を痛めたとし、北と南の時間から先に統一しようとおっしゃった。 …北と南が一つになるということは、このように互いに異なり、分かれていることを一つに統合していく過程だとし、民族の和解と団結の初の実行措置として、現在朝鮮半島に存在する二つの時間を統一することから始めるという決意を示した」
金正恩委員長の標準時間の復元措置は「民族の和解団結」と「統一」の意志の表現と主張したのだ。しかし、「朝鮮半島に二つの時間」を作ったのは、ほかでもない金委員長自身だ。
「平壌時間」は一時の騒ぎではない。そもそも、なぜ金委員長は2015年に標準時間を30分遅らせたのか?この問いの“答え”を見つける過程は、金委員長が構想する朝鮮半島の未来を見極める糸口になるだろう。
2015年は光復・解放70周年であり、「朝鮮民主主義人民共和国のすべての活動」を「領導」する「朝鮮労働党」(社会主義憲法第11条)創建70周年である。もしかすると、平壌時間を制定した真の理由は「日帝による百年の罪悪の決算」より「偉大なる金日成同志と金正日同志の不滅の尊名によって輝く白頭山大国の尊厳と威容を永遠に」という文言に込められているのかもしれない。南北の著しい国力の差により、北朝鮮主導の統一の現実性がほとんどないという内外の評価を前提とすると、「白頭山大国を永遠に」は統一よりも、北朝鮮が長い間激しく非難してきた「二つの朝鮮」の並立を見据えたということなのかもしれない。
金正恩朝鮮労働党総書記(対外的には国務委員長)は2021年1月5日、労働党第8回大会の演説で、「我が国家第一主義の時代」を公式に宣言した。金正恩委員長の「我が国家第一主義時代」とは、「国家の尊厳と地位を高めるための決死の闘争の結果として誕生した自尊と繁栄の新時代」だ。
金正恩委員長の「我が国家第一主義」は金正日総書記の「我が民族第一主義」と劇的な対照を成す。「民族」を「国家」に置き換えたのが重要だ。 民族至上主義に近い北朝鮮の歴史で「国家」を前面に出したのは金日成・金正日時代にはなかった金正恩時代の特徴だ。
「我が国第一主義」は2017年11月、「労働新聞」の社説と正論に初めて登場した。「自力更生は朝鮮革命の本性」とし「主体鉄」(鉄生産にコークスの代わりに無煙炭と褐炭を使用)と「炭素ハナ化学工業」(石炭化学で石油化学を代替)を強調した「労働新聞」の正論(2017年11月20日2面)が最初で、「国家核武力の完成宣言」の根拠である大陸間弾道ミサイル(ICBM)「火星15型」の発射実験を「朝鮮人民の大勝利」とした「労働新聞」1面の社説(2017年11月30日付)が二番目だ。金正恩委員長にとって「自尊」と「繁栄」は「我が国家第一主義時代」の二大軸だが、「核武力」は自尊の基盤であり、主体鉄と炭素ハナ化学工業は主体型・自力更生式繁栄の動力だ。主体鉄と炭素ハナ化学工業は、国連などの高強度制裁により原油、コークスなどの輸入が難しい状況で、自力更生で対処するということだが、専門家の間では「高コストの過度な国産化推進で経済的な非効率性が高く、南北経済協力の標準化の障害要因」(イ・ジョンソク元統一部長官)という懸念の声もあがっている。
その後、特に言及はなかったが、「我が国家第一主義」の信念化を強調した金正恩委員長の2019年の新年の辞をきっかけに「我が国家第一主義を高く掲げ、社会主義強国の建設を力強く推し進めよう」などという文(2019年1月21日付「労働新聞」1面の社説)が相次いだ。金委員長がドナルド・トランプ米大統領との2回目の首脳会談を控え、「制裁緩和」と対外関係改善の夢に浮かれていた時だ。
金正恩委員長の「我が国家第一主義」は金正日総書記の「我が民族第一主義」と比較すると、連続と断絶の側面を持っている。「民族」を「国家」に置き換えたのは明白な断絶だ。「民族」には南側も含まれるが、「国家」において、南側は対象外になっている。「我が国家第一主義」は南北の分離を公然と主張しているわけだ。「労働新聞」が「社会主義強国の建設に合わせた国風の確立」を強調し、「国旗や国章、愛国歌を神聖に取り扱うべきだ」と繰り返し注文したのもこのためだ。2020年10月10日の労働党創建75周年記念軍事パレードでは、党の公式行事では初めて「藍紅色共和国旗」の掲揚式が金日成広場で行われた。党(労働党)が国家(朝鮮民主主義人民共和国)を建て、国家のあらゆる活動を「領導」する党・国家体制という自己認識からして、党創建日の国旗掲揚式は明らかに「意味深長なイベント」(韓国政府高官)だ。
993日間の「平壌時間」と「我が国家第一主義」の強化傾向を重ねてみると、金正恩委員長が夢見る未来の朝鮮半島の青写真が浮かび上がってくる。 金日成主席が長い間敵視してきた「ツーコリア(Two Korea)」の志向だ。これは南北共存の国際的基盤である国連加盟の趣旨に沿った肯定的変化である一方、「統一志向の特殊関係」を約束した南北基本合意書の精神に照らし合わせると「分断の永久化」を示す危険なウィンカーと言える。
ただし、北朝鮮の「ツーコリア」の志向は金正恩時代だけの現象ではない。2015年の「平壌時間」に先立ち、金日成主席の生誕1912年を基点とした「主体年号」の制定が1997年にあった。金正日総書記の「我が民族第一主義」の「我が民族」とは「金日成民族」(1994年10月16日、『金正日選集18』)であり「偉大なる首領に仕え、偉大な党の指導を受け、偉大な主体思想を指導思想とし、最も優越した社会主義制度に生きる」人々だ(1989年12月28日、『金正日選集13』)。その「我が民族」に南側5400万市民が「私も入れて」と手を挙げる理由はない。「我が首領第一主義」(「労働新聞」2021年4月1日付1面付け論説)であり「金日成・金正日朝鮮第一主義」(「労働新聞」2019年1月21日1面付け社説)を謳った金正恩委員長の「我が国家第一主義」と金正日総書記の「我が民族第一主義」は南北の分離並立、すなわち「ツーコリア」を目指すという点で、根本的には連続したものと言える。
「近づくにはあまりにも遠いあなた」になろうとする北朝鮮とともに、長い対立と敵対を捨て共存と繁栄を花咲かせ、平和と統一の広い海に進むためには、配慮に富んだ思慮深い戦略的な悩みが切に求められる時だ。
1993年にハンギョレに入社し、1998年から金剛山観光や開城工業団地事業の開始と中断、5回の南北首脳会談、6回の北朝鮮核試験、金正日総書記の死去と金正恩国務委員長の「3世継承」、2回の朝米首脳会談、史上初の南北米首脳会合などを現場で取材し、報道してきた。反戦・反核・平和の朝鮮半島と南北8千万市民・人民の平和な日常を夢見る。
イ・ジェフン 統一外交チーム先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)