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米国が主導した日本の平和憲法9条…今は米国が改定圧迫

原文入力:2009-12-24午後09:59:22
[ハニTV‘ザ・インタビュー’と共にするハンギョレが会った人]
‘ウォーク9’正木高志

ハン・スンドン記者,タク・キヒョン記者

←韓国で100日間‘ウォーク9’(Walk 9)行事を終えた正木高志は「韓国の自然がたくさん毀損されているのを見て驚いた。日本でも以前は山を崩して海を埋める大きな工事をさんざんやった。だが今は社会的反対の動きが活発になり開発主義が弱まった」と話した。 タク・キヒョン選任記者 khtak@hani.co.kr

正木高志. 髪を後に縛った彼の表情からは年齢を察しにくかった。1945年生まれの66歳。ハンギョレ新聞社ハニTVスタジオで会った彼は、まさに前日 休戦ラインが近い臨津閣で100日間の‘ウォーク9’(Walk 9)韓国巡礼をちょうど終えたところだった。

「今、日本では(平和)憲法9条を変えようとするとても強い動きが起きている。危機感を持っている。日本が9条を捨てるなら戦争が起きる危険性がある。9条を変えるということは軍隊を保有し戦争をすることができる国を作るということだ。それに反対する動きもある。特に若者たちの中で反対気勢が強い。私は日本の進路を変えるこういう大きな問題について私ができることが何かを考えた。いくら考えてもこれだというものはなかったが、祈って歩くことならできるという気がした。それで始めた。多くの若者たちが共感して参加してくれた。光る巡礼になった。

‘ウォーク9’は、だから日本憲法第9条を守るための歩き運動だ。日本の憲法9条は日本の軍隊保有と交戦権,集団自衛権発動を否定する内容を含んでいる。日本憲法をよく‘平和憲法’だと言う理由もそこにある。最近10余年間、日本では保守右派を中心に9条をなくしたり変えようとする動きが強化され、ついに国民投票を通じて改憲可否を決められるようにする法律を通過させるに至った。ここには日本を再武装させ自国の覇権戦略に動員しようとする米国の圧迫が大きく作用した。

韓国で100日間 憲法9条守ろうと歩き運動
国家を跳び越える東アジア意識が戦争を防ぐ

正木は9月9日から12月17日まで江華島を出発しソウルを経て東海,江陵へ、そこから海岸線に沿って釜山まで行った。そこからまた南海岸に沿って光州側に歩き、霊光,平沢などを経て北上し臨津閣まで行った。「毎日がとても印象深かった。本当に素敵な旅だった。」参加者たちは場所や時により増えたり減ったりしたが、100日目の最終日には100人余りが共にした。日本人20人程度が韓国巡礼をずっと一緒に歩いた。宿泊は韓国の人々の助けで解決した。

彼は日本で先に巡礼を始めた。「2年前に日本の南側から北側まで3ヶ月程度歩いた。その時は生命が戦争で傷つかないことを祈念して海岸線に沿ってずっと歩いた。一人で歩こうとしたが実際に始めると多くの若者たちが参加してくれた。その時からウォーク9はとても楽しい巡礼団になった。

なぜ韓国でも歩こうと考えたのだろうか? 「私なりに謝罪するための巡礼であった」と言った。平和憲法を守ろうとするなら韓国との和解が必要だと考えた。「憲法9条は戦争をしないと誓ったものだ。それは隣国と関連している。平和も戦争も一国家内の問題でなく隣とどのように仲良くすることができるかという次元の問題だ。したがって両国が共に考えなければならない。進んで国と国を越えた関係、特に東アジア意識,東アジアの意識が高まってこそ戦争を防止することができると考える。今回若者たちがたくさん参加した。年をくった人は私一人だけだった。20代だけでなく10代もたくさん来た。本当にすばらしいことだ。それを見て、こういう若者たちはすでに東アジア人だなと考えた。」
彼は昨年7月、生まれて初めて韓国を訪れた時、日本という国が韓半島から渡ってきた人々が建てた国という、思いもしなかった事実と衝撃的に遭遇した。「日本列島で狩猟採取をしながら暮らしていた縄文人は朝鮮から日本に渡ってきて国を作った人々により追い出され滅亡した。あたかもヨーロッパ人がアメリカ インディアンを追い出し米国という国を建設したのと同じようにだ。」

アメリカの戦略に沿って戦争するように日本再武装を圧迫
改憲阻んでこそ新しい米-日同盟も可能

帰国した後、彼は日本人のルーツ探しの勉強に没頭し、その結果として韓国での衝撃を再確認した。「なぜ<日本書紀>が日本には元々日本人が暮らしていたと記録したのか。西暦673年になった天武天皇が編纂を命じたその本は自分たちを敗北させた新羅に対抗するために、新羅侵略に対処するために作ったのだ。したがって自分たちの国を朝鮮半島から追われてきた人々が作った国と公表することは難しかっただろう。」‘先生と私は血縁的にとても近いかもしれない’という話に、彼は「人類学者らによれば日本人の90%は朝鮮半島から渡ってきた人々」と言った。

彼は壬辰倭乱と日帝植民支配など最近の歴史で加害者となった日本側が先に謝罪し慰めることを始めなければなければならないと考える。沖縄で徴兵・徴用でそちらに連行された朝鮮人1万4000人余りが日帝の戦争政策により殺されたという胸の痛い事実も彼の足を韓国に向けさせた。今回の韓国巡礼に出た日本人たちもそのような考えを共有した。

九州の山の中で世俗の関心を絶って暮らしてきた彼が憲法9条を守りに出たのは植樹を通じて彼自身が自然のふところに丸ごと抱かれてからだ。歩き回ってみた日本全国の森は人工植林した日本杉単一種で覆われていたし、自然林は荒廃していた。特に西部の島根県佐太神社近隣の島根原子力発電所を通り体感した恐怖が彼をこれ以上ためらわせなかった。万一戦争が起き原子力発電所が破壊されれば、長くは数万年間にわたり東アジア一帯のすべての生命が抹殺され苦痛を味わうことになるという恐怖感。

“10年前から植樹を始めたが当時の日本には自然を戻すために木を植える組織はなかった。今は多くなった。植樹自体が喜びを与えないならば不可能なことだ。土地を耕し木を植えてみれば大地,自然が本領を発揮し連結される喜びを実感できる。その結果、人間から自然の側に完全に立場を切り替え、あらゆる事を自然側から眺めることになる。憲法9条も自然側から考え始めた。原子力発電所が攻撃されれば何万年も海も山も苦痛を蒙ることになるだろう。”

彼は韓国では‘日本海’という名前を容認できず、日本では西側の海を‘東海’として受け入れることはできないという難題も、新しいアイデンティティを通じて解消できるといった。「過去の歴史清算や平和作りは国家意識では無理と考える。国というものは戦争をするために、そして戦争によって作られた。したがって戦争をなくすためには国家アイデンティティから抜け出さなければならない。東アジア意識を持つようになれば戦争はなくなるだろう。」平和憲法と矛盾関係の天皇制問題も「すぐに変えることは本当に大変なこと」として「先に9条を変えようとする動きを阻止することが今直ちにするべきこと」といった。

彼は北韓ミサイルも心配したが日本を再武装させるために拉致問題を誇張するなど北韓をはじめとする隣国を刺激し、それを通じて日本国民を改憲側に扇動する日本右派政権の‘演出’がさらに本質的な問題だということを直感した。「日本政府は最近10年間に9条を変えるために色々な準備をしてきた。その一環として隣国を最も威嚇的な存在とし刺激することを継続した。その結果、20年前なら考えられないことが今起きている。日本国民ではなく政権側の宣伝活動がそのように導いた。申し訳ないと思うが、そのような政治家たちに韓国人があまり過敏反応しなければ良いと思う。それは彼らが望むことだ。9条を守るためにはそのようなプロパガンダに反応しないことがむしろ良い。外部反応が強ければ日本国内の改憲の動きもそれに合わせて強化される。」

だが9条があるのにも関わらず日本では自衛隊がより一層増強され、防衛庁が防衛省に昇格し、海外派兵までなされているではないか。9条を守れば平和が守られるのだろうか。「私もそう思う。9条は60年前に日本が力がない時、米国の圧力で作った。だが今、日本人が(自主的に) 9条を守るならば、平和の大きな飛び石になるだろう。それは日本人が(過去の歴史と関連して)やってこそできる東アジアに対する謝罪になりうる。」彼は改憲を狙う日本右派勢力の意図を一般国民が阻止するということに積極的な意味を付与した。

改憲国民投票世論は現在50対50水準
政治関心がなかった若年層の参加が結果を左右

9条が米国主導で作られたとは言うものの、日本は去る半世紀を超えて9条体制下で繁栄し、日本人の多くがその体制を作った米-日同盟を支持している。分断され同族間の争いまで行った後、いまだに休戦体制で対立している韓国が9条体制維持運動に積極的に連帯することができるだろうか。「そのような考えは大変重要だ。9条を守ろうとする日本人がそのような考えまで配慮しているかどうかは分からない。今回、韓国を巡礼して色々な米軍基地も見学した。9条は米国が中心になって作ったが、今9条を変えろと圧迫する国が米国だ。米国は日本を(米国の戦略に沿って)戦争することができる国、自分たちが武器を売ることができる国にしたい。今新しく9条を守るならば米-日同盟も変えることができると考える。」

鳩山民主党政権が普天間基地移転問題で米国と不仲になっている。「今回の参加者たちの中に沖縄の若者たちもいた。彼らと米軍基地を大きく拡張している所(おそらく平沢)にも行き多くの話を聞いた。日本の若者たちは駐日米軍基地と駐韓米軍基地は互いにあっちこっち移動するなど密接な相関関係があると話す。韓国と日本が互いに連帯すれば東アジアでの米国の力を減らしていくことができると考える。」

彼は巡礼途中、韓国の自然がたくさん毀損されているのを見た。「韓国を歩いてとても驚いたことがある。とても大きな規模の工事があちこちで非常に旺盛に繰り広げられていた。高速道路,トンネル工事が進行していたし、ある所では高速道路2つが並んで走るのも見た。セマングムにも行ってみたが本当に胸が痛かった。日本でもそのような問題が多かったが、韓国では生命の問題をより一層無視しているという感じを受けた。」

4大河川開発に対しては「名前はよく覚えていないが、そのような途方もない計画があるという話は聞きびっくりした」と言った。「日本でも以前にはそうやった。山を崩し海を埋める大工事を行った。だが今は社会的に反対の動きが活発になり、開発主義が弱まりダム建設などの大工事はほとんど中断された。」鳩山政府はスタート直後に八ッ場ダムなど大規模ダム工事を中断すると発表した。「環境問題は日本より韓国がはるかに深刻なようだ。南北が分かれているのもそうで、日本で起きていることが韓国ではより一層深刻化された形態で進行しているようだ。」

正木がした話の中にこういう意味深長な話がある。

“私は九州の山の中で茶農作業をしているが、春になれば幼虫が葉をかじって食べる。人々は幼虫が葉を度々食べれば結局木が枯れないだろうかと心配するが、幼虫はしばらくするとマユになり蝶々に羽化する。蝶々になればそれ以上葉を食べない。蜜の香りに引かれ空を飛び回り、花の蜜を吸って実を結ぶようにする。環境問題も同じだ。人々が自然を亡ぼしてきたが、ある時になれば、あー私自身が自然それ自体としてふるまおうという意識を持つようになる転換が起きるだろう。人間中心に環境を見て環境は人間のために存在するという考えはコペルニクスが覆した天動説と同じだ。」

彼は自身のネットワークを通じて2011年に行われる地方選挙に新しいアイデンティティで武装した若い‘グリーン候補’ 1000人を推しだす作業を始めている。「これまで環境運動は議会で開発議案らが通過した後に対処する方式だった。それでは自然破壊を防ぐことはできない。国家プロジェクトだけでなく地方自治体次元の数多くの大小の工事を阻まなければならないが、開発案が議会を通過する前に中断させなければならない。政治に関心を持たなければ自然破壊を食い止めることはできない。そのような点で若者たちに期待をかけている。」やはり2011年に行われる可能性が高い9条改憲国民投票通過を阻止するためにも「若者たちの意識を政治や社会へ向けるようにするのが本当に重要」だ。「それも楽しくて格好よく」して一大文化運動に作っていくつもりだ。

国民投票が行われれば結果は? 「世論を見れば左右を問わず50対50程度だ。20年前までは4対1程度で反対が強かった。だが政権が熱心に宣伝しまくった結果、50対50まできた。今まで政治に関心がなかった若者たちの参加程度が結果を左右するだろう。3~5%の若者票だけでも更に集めれば防げる。万一それができれば自分たちの力に確信を持つようになった人々が原子力発電所開発も阻み米-日同盟も変えられるはずだ。」

インタビュー/ハン・スンドン選任記者sdhan@hani.co.kr

←正木高志

茶畑育てて平和を守ろうと歩き始める

1945年生まれの正木高志は東京教育大学文学部史学科を卒業し60年代中盤にインドを遍歴しインド哲学を学んだ。80年に九州の山の中に入り有機農茶栽培を始めた。90~91年には米国,モンタナ州立大に招へいされ環境倫理学を講義することもした。本を書きヴェーダーンタ哲学の翻訳作業をするなど執筆と講演活動をする一方、2000年から植樹を始め2007年からはウォーク9平和巡礼を継続している。緩い形態のネットワークだけで自分だけの組織はない。森ボランティア グループ‘森の声’代表を引き受けている。<スプリングフィールド> <木を植えましょう> <出アメリカ記> <空とぶブッダ> <蝶文明>などの本を出した。

原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/395345.html 訳J.S