原文入力:2009-12-12午前09:01:02
有功者認定 最高裁 "正統性ない公権力 抵抗は正当" 判決…当時 鎮圧軍キム・ドングァン氏勝訴
パク・ヒョンチョル記者
←5・18光州民主化運動当時、鎮圧軍として投入され発砲命令を拒否したキム・ドングァン(中央)氏が11日午後、国家有功者に認定された確定判決文を見て喜んでいる。彼を助け弁論に出たチョン・ソン(左から2番目)弁護士など大学同期たちが席を共にした。 シン・ソヨン記者viator@hani.co.kr
1980年5月 光州。第3空輸特戦旅団所属として投入されたキム・ドングァン(51)氏は‘暴徒’と名のついた市民らと向かい合った。発砲命令が下った。戦友が撃った銃に市民が一人二人と倒れる時、彼は耐えがたい苦痛を感じた。銃を撃たないことのほか別にできることはなかった。そうするうちに、‘市民に銃を撃つ戦友らに銃口を向けることが真の戦友愛ではないか’という考えまでしたという。結局は虐殺を止めろと要求し、同僚・上官などと殴り合いまでした。
転役して4ヶ月後の1982年3月、キム氏は病院で精神分裂症の診断を受けた。医師はキム氏が光州で体験した精神的圧迫が発病原因であり、その日以後の部隊同僚との葛藤,上官のシゴキなどが症状を悪化させたと診断した。キム氏は2006年8月、国家報勲処水原報勲支庁に国家有功者登録申請をしたが「軍服務中に発病したという資料がない」とし拒否された。
キム氏は訴訟を起こし、‘暗鬱な時代’を経験してきた友人らが一肌脱いだ。チョン・ソン弁護士などキム氏の大学同期たちは精神科専門医と心理学科教授らを尋ね歩いた。キム氏の戦友たちまでうわさをたよりに捜し、証人として呼んだ。友人たちは宣告を控え裁判所に「同時代人として共に体験した歴史的事件なのに、友人の個人的不幸にだけ押し付けてはならない」とし「彼の息子が父親を名誉だと思えるようにして欲しい」と懇請した。
1・2審裁判所はこういう呼び掛けに耳を傾けた。水原地裁は1審判決文で「キム氏が民主化運動鎮圧など不適法な公権力の行使による精神的圧迫感に苦しめられ、これによるストレスが精神分裂症の直間接原因と見ることができる」として国家有功者登録拒否処分を取り消しなさい」と判決した。裁判所は「正統性のない公権力を克服するための国民の抵抗には時代的で客観的な正当性が内在していた」とし「キム氏は自身の意志と関係なく不当な公権力の行使に動員され、こういう自己矛盾が招いた極度の葛藤は精神世界を破壊するほかはなかった」と判断した。大法院1部(主審 キム・ヌンファン最高裁判事)も最近、原審判決をそのまま確定したと11日明らかにした。
この間、キム氏の人生は荒廃した。1991年に結婚したが、息子一人をもうけた後、2002年に離婚し、今は一人暮らしで水原精神健康保健センターで通院治療を受けている。母親のキム・ヨンスン(79)氏は息子のことで衝撃を受けた夫が世を去り、息子が20ヶ所を越える精神病院を飛び回る間、一人で看病した。判決確定後、キム氏が息子から聞いた始めての言葉は「お母さん、もう気違いという言葉は聞かないでしょう」と言った。彼は「外交官になろうとしていた息子が5・18直後から他の人になった」とし「その時間をどのように言葉で言い表すことができるだろうか」として喉を詰まらせた。
来年には5・18が30周年をむかえる。虐殺に加担したという罪悪感に自らを悲劇に追い立てた映画<ペパーミントキャンデー>の主人公のようなキム氏の人生が少しでも癒えるまでにもそれだけの歳月がかかった。
パク・ヒョンチョル記者fkcool@hani.co.kr
原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/392921.html 訳J.S