25年前、新軍部が犯した光州(クァンジュ)での虐殺行為に免罪符を与えた検察が、これを覆す判断を下した。死者名誉毀損事件で起訴された全斗煥(チョン・ドゥファン)元大統領(89)に懲役刑を求刑し、5・18光州民主化運動の時のヘリコプター射撃が実際にあったと明らかにしたからだ。5・18団体は、今回の検察の求刑が光州民主化運動の真相究明の始まりだとして歓迎した。
5日、光州地裁201号刑事大法廷で、刑事8単独のキム・ジョンフン部長判事の審理で開かれた全斗煥氏の死者名誉毀損事件の結審公判で、検察は全氏に懲役1年6カ月を求刑した。今回の求刑は、1995年の検察捜査を覆す判断だ。
検察は1994年5月、光州民主化運動での被害者の告訴・告発を受け、同年11月23日から1995年7月まで、全斗煥・盧泰愚(ノ・テウ)両氏をはじめとする新軍部関係者269人を調査した。しかし、12・12軍事反乱は起訴猶予、5・18虐殺事件には公訴権なしの決定を下した。高度の政治的行為であるため、司法審査の対象にならないという論理だった。当時、検察は1980年5月21日以降の戒厳軍の発砲は「デモ隊の威嚇攻撃に対応した自衛権レベルの発砲」という戒厳軍の主張を受け入れ、ヘリコプター射撃などはまともに捜査もしなかった。当時の金泳三(キム・ヨンサム)大統領の指示で行われた2次調査も、全氏・盧氏ら新軍部の処罰を目的としただけで、5・18の真相究明は先送りされた。
特に今回の裁判で争点になった民間人に対するヘリコプター射撃は、軍部隊員の保護ではなく一方的な射殺であるため、新軍部の「自衛権保有」の主張を否定できる事案だが、検察は1995年の捜査結果を覆し「ヘリ射撃はあった」という結論を下した。被害者側の法律代理人のキム・ジョンホ弁護士は「1995年の検察調査は証拠不足でヘリ射撃は明らかにされなかったが、今回はこれまでの政府レベルの捜査、新たな目撃者の証言などを基に、検察が事実と判断したようだ」と述べた。
全南大学法学専門大学院のミン・ビョンノ教授は、「光州民主化運動におけるヘリコプター射撃問題は、5・18真相究明調査委員会を発足させたきっかけだ。強制捜査権を持つ検察が初めて5・18の真相を調査して認めたという点で重要な意味を持つ。ただ、明白な証拠がなく、5・18調査委に課題を残した」と主張した。
光州民主化運動を記録した『光州5月民衆抗争の記録―死を越えて、時代の暗闇を越えて』の著者イ・ジェウィさんは「ヘリ射撃は自衛権保有論理を一度に崩壊させるもので、軍の名誉とも関連がある。1995年の捜査は政治的処罰が目的なので、1988年の国会光州聴聞会のレベルを脱することはできなかった。検察の立場としてはきちんと整理できなかった過去事に対する教訓を得たはず」と述べた。
5・18記念財団のチョ・ジンテ常任理事も「全氏に対する検察の懲役刑は、5・18真相究明へとつながる橋となる。裁判所は有罪を宣告し、全氏は処罰を受けるべきだ」と述べた。