3日の大統領府の外交・安保人選の“白眉”は、何よりも国家情報院(国情院)長人事だった。一時期、文在寅(ムン・ジェイン)大統領を毎朝公然と非難し、「文(ムン)モーニング」というあだ名までつけられたパク・チウォン元民生党議員が重用されたのは、誰も予想できなかった出来事だった。
文大統領とパク候補者間の“悪縁”の歴史は、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政府時代の2003年にさかのぼる。2002年の大統領選挙当時、盧武鉉大統領は全羅道の圧倒的な支持を受けて政権についたが、金大中(キム・デジュン)政府時代に行われた対北朝鮮送金に対する特別検察官による捜査を受け入れた。それによって金大統領の秘書室長を務めたパク候補者は検察捜査に巻き込まれて収監された。文大統領は当時、大統領府民情首席だった。
二人の対立は2015年の新政治民主連合の2・8全党大会でピークを迎えた。「大勢論」を掲げた文大統領と「党内権力と大統領の分離論」を主張するパク候補者が、代表の座をめぐり激突した。暴言とネガティブ攻勢が飛び交う中、パク候補者は「盧武鉉政権の全羅道冷遇論」や「親文(文在寅支持派)の覇権主義」を掲げて文大統領を執拗に攻撃した。3.5%ポイントというぎりぎりの差で文大統領が勝利したが、すでに溝が取り返しのつかないほど深まった後だった。
このとき文大統領に刻まれた「全羅道トラウマ」はいつまでも付きまとう傷だった。パク候補者が火をつけた「全羅道冷遇論」は反文在寅の感情とともに広がり、新政治民主連合を分裂させた。パク候補者は、新政治民主連合を離党したアン・チョルス議員が作った国民の党に入党し、2016年の総選挙で当選した。文大統領は総選挙直前に光州(クァンジュ)を訪れ、「全羅道が私に対する支持を撤回するなら、私は未練なく政治の一線から身を引く」と述べ、政治的勝負に出たものの、全羅道は28議席のうち25議席を国民の党に与え、挫折感を抱かせた。
2017年の大統領選挙当時、国民の党の院内代表だったパク候補者は午前の公開会議を開くたびに、文在寅バッシングの先頭に立ったが、文大統領就任後、友好的な態度に急旋回した。就任初日の2017年5月10日、国会を訪れた文大統領に「今日はグッドモーニングです」と述べ、「10年ぶりの政権交代」を祝ったエピソードは有名だ。金大中大統領の「太陽政策」を継承した彼は、険しい南北関係の荒波の中でも、朝鮮半島の平和と北朝鮮との対話に積極的な意志を失わなかった文統領に惜しみない声援を送った。
国情院長内定のニュースが流れた同日、パク候補者は文大統領に“忠誠”を誓った。彼はフェイスブックに「歴史と大韓民国、そして文在寅大統領のために愛国心を持って忠誠を尽くす」とし、「これから私は政治の『政』も口にせず、国情院の本来の任務を果たしながら、国情院の改革に邁進する」と明らかにした。
このように長い悪縁にもかかわらず、文大統領がパク候補者を起用したのは、険悪になった南北関係に突破口を見出そうとする強い意志と切迫さの表現だといえる。パク候補者は20年前、初の南北首脳会談を成功させた主役でもある。文大統領は北朝鮮が開城(ケソン)共同連絡事務所を爆破した翌日の先月17日、大統領府に外交・安保の元老らを呼んで助言を聞いた席にもパク候補者を招待した。