本文に移動

イ・ヨンスさん、新たな暴露なく、正義連とユン当選者への裏切られた思い語る

登録:2020-05-26 06:34 修正:2020-05-27 18:21

2回目の会見の内容とは 
挺身隊・性奴隷の表現に不快感 
「挺身隊は工場で働いていたのに 
慰安婦と一緒くたにしてずっと利用した… 
どうして汚らわしい性奴隷と言うのか」 
正義連「挺対協は慰安婦の人権団体 
性奴隷はUNが認めた公式表現」 

後援金の募金に侮辱感 
「なぜ募金するのか…恥ずかしかった」 
被害者を利用した募金方式に怒り 

ユン・ミヒャン当選者への裏切られた思い 
「私利私欲で求め、勝手に国会へ 
30年共にやってきたのに、見捨てられた」

日本軍「慰安婦」被害者の女性人権運動家のイ・ヨンスさんが今月25日午後、大邱寿城区晩村洞インターバーゴホテルで記者会見を開き、正義記憶連帯関連疑惑に対する考えを語っている=共同写真取材団//ハンギョレ新聞社

 正義記憶連帯(正義連)の後援金の使途をめぐる疑惑などを提起した今月7日の記者会見に続き、25日に開かれた2回目の会見で、イ・ヨンスさん(92)はさらに厳しい声をあげた。イさんは“30年同志”だったユン・ミヒャン共に民主党国会議員当選者に対する裏切られた気持ちを激しい言葉で語った。正義連は記者会見後、「今日の記者会見を残念な気持ちで見守った」とし、一部の事実と関連した歴史的背景を明らかにする説明資料のみを発表した。

 イさんは同日午後2時40分頃、車椅子に座ったまま、重い表情で大邱市寿城区(スソング)インターバーゴホテルに姿を現した。健康が悪化し、記者会見を行うのは難しいと言われていたが、用意した原稿を見ることなく、数十年前の日付まで挙げて、これまで積もった思いを打ち明けた。感情が高ぶって声を震わせる場面もあったが、90歳を過ぎたにもかかわらず、記者団の質問に最後まで答えた。彼女は会見の冒頭で、「誰かを攻め、過ちを指摘するのは、最初の記者会見の時に行った。しかし、その後思いもよらなかったことが、あまりにもたくさん出てきた」とし、「それは検察の仕事だと思う」と述べた。この記者会見が、さらなる疑惑を提起するためのものではないことを明確にしたのだ。

 イさんは1992年、挺身隊問題対策協議会(挺対協)の実務幹事を務めていたユン当選者と30年間共に慰安婦問題の解決に向けた運動をする過程で覚えた怒りを主に語った。イさんが指摘した内容は大きく分けて4つだ。まず、イさんは挺対協の“命名”を問題視した。「(勤労)挺身隊は工場で働かされた女性たちなのに、慰安婦(被害者)と挺身隊のハルモニ(おばあさん)たちを一緒にしてずっと利用してきた。30年間(慰安婦被害者に)謝罪しなさい、賠償しなさいと言ってきたが、日本人も(その対象が)分からなければ、謝罪、賠償しようがないじゃないか」というのがイさんの主張だ。軍需工場などに強制動員された女性労働者たちを指す挺身隊と、性的な搾取と暴力を受けた慰安婦被害者問題を一緒くたにして問題の本質を濁したという主張だ。しかし、挺対協という団体名は運動初期に慰安婦被害者と勤労挺身隊被害者がまともに区分されていなかったことから生じた結果である。1944年、「女子挺身勤労令」により徴発された勤労挺身隊のうち、一部は軍需工場に、一部は慰安所に連れて行かれた。挺対協は1990年の設立当時から、慰安婦被害問題の解決に集中してきた団体だ。

 さらに、イさんは、最初の記者会見の時と同様、今回の記者会見でも「性奴隷」という命名に対する侮辱感を示した。彼女は「どうして慰安婦が性奴隷なのか。どうして汚らわしい性奴隷とするのかと聞くと、(正義連またはユン・ミヒャンが)米国人たちが恐ろしく思うように』と言っていたが、とんでもない話だ」と述べた。2015年の韓日慰安婦の合意の後、挺対協は2018年に「日本軍性奴隷制問題の解決のための正義記憶連帯」に生まれ変わった。 毎週の水曜デモ(水曜集会)も「日本軍性奴隷制問題の解決に向けた定期水曜集会」として開催される。国連が認めた公式表現が「強制性奴隷」であるからだ。正義連は説明資料で「『性奴隷』は被害者を罵倒するための用語ではなく、むしろ被害の実状を正確に表現するため、学術的に構成された概念」だと説明した。

 世間の関心を集めた後援金問題についても、イさんは“不正”というよりも“侮辱”の問題として捉えた。イさんは1992年、実務幹事だったユン当選者に初めて会った当時を振り返り、「日本のある先生から送られたとして、100万ウォンずつ渡された。何のお金かも分からなかった。そのときから募金するのを見た」と切り出した。イさんはさらに「(ユン・ミヒャンと)同行してバスケットボール選手がバスケットボールをするのを見ていると、その選手がお金を集めてきた。私は(募金が行われたことも)知らなかった。恥ずかしかった」と述べた。後援金の使途を超えて、ユン当選者が慰安婦被害運動を通じて募金をした事実自体を問題視したのだ。

 何より、イさんは一緒に運動してきたユン当選者が“国会議員”の道を選んだ点を強く糾弾した。彼女は「あの人(ユン・ミヒャン)は何をするにも勝手に始めたり、投げ捨てたりするが、30年一緒にやってきたのに一言の相談もなく、勝手に投げ捨てた。韓国の国民、世界の皆さんがデモ(水曜集会)に参加するのに、その方々も蔑ろにした」とし、「自分が私利私欲を求め、勝手にまた国会議員の比例代表にも出た。鷹骨折って旦那の餌食のようなものだ」と述べた。それとともに「私に(出馬するという)話もなかったし、勝手に進めたことだから、許すも何もない」と付け加えた。イさんはユン当選者の進退に関する立場を尋ねる記者団の質問に対し、「それは私が言うことではない。 あの人が勝手にしたことだから、辞退するべきかどうかについては、私は何も言わない」と述べ、判断をユン当選者側に任せた。

チェ・ユンテ、大邱/カン・ジェグ記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/946453.html韓国語原文入力:2020-05-25 21:52
訳H.J

関連記事