2日昼12時19分、大邱東区(テグ・トング)の革新都市の中に位置する教育部の中央教育研修院。弁当を積んで中に入っていった1トントラック1台が研修院から出てきた。トラックが車両出入口を通ると、路面と道路の両側に設置された自動車両消毒設備から消毒液が噴水のように噴き出した。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の軽症患者を隔離治療する研修院創意館の前には、往復2車線の道路に沿って14台の救急車が並んでいた。この日、研修院は、生活用品や医療設備も備えるなど、生活治療センターへと変わっていた。迅速に建物内外の消毒などの防疫作業を終え、感染者らを迎え入れた。
昼12時20分、「慶尚北道消防」、「慶尚南道消防」、「昌原(チャンウォン)消防」と書かれた救急車3台が次々と研修院の中に入っていった。2分後には「忠清南道消防」、「慶尚北道消防」と書かれた救急車2台が中に姿を消した。再び2分後には「慶尚南道消防」と書かれた救急車1台が研修院から出て来てどこかへ消え去った。救急車を運転する人はまるで雪だるまのように、白い防護服とマスクで重武装している。車両出入口の前では白いマスクをした2人の警官が出入りを統制していた。
陽性判定を受けても自宅で病床が空くのだけを待っていた感染者たちはこの日、こうして研修院に移された。この日に移送された患者は、全員個室を割り当てられた。今後ここでは、大邱市や行政安全部などの6つの機関の公務員や医療陣など80人あまりが滞在し、感染者を管理する。
研修院で働く職員は40人ほどだが、研修院が立つ敷地は6万7038.4平方メートルにもなる。研修院の中には、ペウム館(面積1万1378.3平米、4階建て)、スシン館(4805.3平米、4階建て)、創意館(5912.3平米、4階建て)の3棟の建物がある。ペウム館の向かいにはサッカー場、テニスコート、バスケットボールコート、駐車場(177台)などが備わる。ペウム館には職員事務所や講義室などがあり、寮があるスシン館と創意館には計226室の部屋がある。研修院は「創意館の160室は感染者を収容し、スシン館の66室は医療陣と行政支援スタッフが使用する」と説明した。
研修院は盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権時代、チョ礼山(チョレサン、海抜648.6メートル)麓に作られた大邱革新都市の中にある。2015年10月にソウルから移転した。革新都市には研修院をはじめ韓国ガス公社や韓国鑑定院などの11の公共機関に3000人あまりの職員が働いている。周辺にはマンション、学校、便宜施設なども立ち並んでいる。
研究院の車両出入口の向かいにあるバス停には誰もいない。1時間以上見ていても乗り降りする乗客はただの1人もいなかった。昼食後に周辺を散歩していた韓国鑑定院の3人の職員は、研修院の高さ1メートルのフェンス越しに列をなしている救急車を怪訝そうに眺めた。
研修院の周辺に住む住民たちはこの日、大きな動揺は示さず、淡々とした様子だった。革新都市に住み、カフェを営むキム・ジヨンさん(41)は「光州(クァンジュ)とソウルでも大邱の感染者を受けているが、うちの町にきたからと言ってこれを否定的には考えていない。感染者が研修院で治療を受け、元気になって出てくることを応援する」と述べた。
この日、研修院に軽症感染者を受け入れるのは、病床不足問題が深刻になったことを受け、政府と大邱市が打ち出した「特段の対策」の一環だ。先月18日に大邱で感染者が初めて確認されてから半月後に出た解決策だ。しかし、この日午前9時現在で大邱の感染者は3081人にものぼるが、入院者は1050人(34.1%)に過ぎない。研修院に収容できる感染者は160人に過ぎないということを考慮すれば、依然として大邱の感染者の3人に1人は自宅で病床が空くのばかりを待っていることになる。
大邱市は研修院に続き、サムスン人材開発院の盈徳(ヨンドク)研修院、農協慶州(キョンジュ)教育院、聞慶(ムンギョン)のソウル大学病院人材院なども生活治療センターとして確保したが、急増する大邱の感染者をすべて受け入れることができるかは未知数だ。趨勢を考慮すれば、大邱では3千床以上の生活治療センター病床が必要となる。
大邱市のクォン・ヨンジン市長は同日、政府に対し、感染者を収容する3千室を確保して欲しいと要請した。クォン市長は「大統領の緊急命令権を発動してでも、生活治療センターとして活用が可能な公共の研修院、大手企業の研修院などに、可能な限り速く3千室以上を確保できるように支援してほしい。また、医療人に対する動員令を下してでも、これらの施設に配置する人材を確保し、重症患者の治療のための病床も確保してほしい」と述べた。クォン市長は続いて「今週中に自宅での入院待機問題を完全に解決するようにしたい」と約束した。