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[インタビュー]「12・12昼食会映像」イム・ハンソルの全斗煥追跡記

登録:2019-12-23 01:46 修正:2019-12-23 08:08
全斗煥の追跡者イム・ハンソル正義党副代表 

税金滞納問題提起から始まった 
全斗煥追跡、10カ月にして 
ゴルフ場、12・12昼食会映像公開 

殴られて口も塞がれたが 
完全な真相究明と処罰の実現まで 
全斗煥の追跡は続くだろう
11月7日、江原道洪川のあるゴルフ場で、全斗煥氏が正義党のイム・ハンソル副代表を見つめている=イム副代表提供//ハンギョレ新聞社

 「全斗煥氏に名刺を渡したそうですが、連絡きましたか」と尋ねると、「本当に連絡してほしい」と答えた。「全氏と会って虚心坦懐に話をしたい」という正義党のイム・ハンソル副代表(38)に18日、ソウル市の西大門区(ソデムング)議会で会った。彼が区議会議員として活動しているところだ。イム副代表は先月7日に全斗煥(チョン・ドゥファン)元大統領が江原道洪川(ホンチョン)でゴルフクラブを振り回している姿を、12・12クーデター40周年当日にはソウル江南(カンナム)のとある中華料理店で豪華な昼食会をする姿を撮影し、相次いで公開した。

 彼が全氏と向かい合った二度の時間は短かったが、そこに至るまでは長く、顔を合わせた後の影響は大きかった。故チョ・ビオ神父に対する死者名誉毀損裁判への出席を、アルツハイマーを理由に拒否している全氏を強制拘引すべきだという声が力を得ている。イム副代表が「全斗煥の追跡者」となった理由は何か。さらに、38という年齢で15年の政党政治経歴を持つ「青年政治家」が望む政治についても聞いてみた。

全斗煥元大統領のゴルフ会合と12・12昼食会を相次いでとらえたイム・ハンソル正義党副代表が18日午前、ソウル西大門区議会事務室でハンギョレとのインタビューに応じている=ペク・ソア記者//ハンギョレ新聞社

―10カ月以上追跡したと聞きました。11月7日、全氏が午前9時23分に家を出て、午前11時45分頃、江原道洪川のAゴルフ場でラウンディングを始めたと発表なさいましたが、それをどのように知り、張り込みをしたんですか。「営業秘密」が気になります(笑)

 「ゴルフ場で定期的にゴルフをするという情報がありました。毎月特定の日の前後に何回か張り込んでみたのですが、なかなかとらえられませんでした。もう行ってしまったのかなと思ったこともあるし、夜明けから張っているのに午後に行くのかという日もあるし…。全氏の動線のパターンをある程度描きつつある頃に光州(クァンジュ)裁判が始まったのですが、その前後に動線と日を変えたのか、また分からなくなってしまいました。自重したわけではないようです。実際会ってみたら『お前が何と騒ごうが俺は俺だ』という感じの人でしたし」

―その日は正確にとらえましたね。

 「全氏が外出するとき、いろいろな情報が入ります。全氏の車は大型のエクウスリムジンで、警護車がついているので、どうしても目立ちます。前日から、何というか、この日に違いないと思って明け方から待機してたんです」

―映像撮影者が別にいて、準備も緻密にされていたようですね。

 「ゴルフなんてしたこともないのに、下見に何度か行きました。パブリックゴルフ場ですが、あの広い場所にコースもいくつもあって、どのコースを回るのかわからなくて。ゴルフ場の特性を把握し、ゴルフ専門家に助言を求め、全氏が打つコースを予測したんです。その日も山を一つ越えました(笑)」

 ゴルフをしている場面の捕捉は、実は全元大統領の滞納に対する問題提起から始まっている。イム副代表は昨年6月の地方選挙で西大門区議会議員に当選してから、「西大門区延喜洞(ヨンヒドン)の住民」全氏に対する追跡を開始した。1000億ウォン(約94億3000万円)を超える追徴金未納以外にも、地方税滞納額(9億7800万ウォン、約9220万円)がここ数年にわたって西大門区で1位だった。「区役所が取った行政措置は何もなかったんです。普通の人は1億ウォン(約9430万円)を滞納しただけでも家宅捜索して差し押さえるのにですよ。区に問い合わせたら『やるべきではあるんですが…』という感じでした」

 彼は西大門区とソウル市に数回にわたって公文書を送り、圧力を加えた。同年11月26日、ソウル市38税金徴収課機動チームが「滞納の解消を督励しに」元大統領の自宅を訪問したが、「アルツハイマーなので人の見分けがつかない」という秘書官の言葉で撤収した。「どうしても許せなかった」彼は、区議会などを通じてこれを世論に訴え、「手ぶら撤収」が12月6日夜から報道されはじめた。そして通報が入った。「12月6日に全斗煥がゴルフをするのを見た」とのことだった。全氏が裁判の出席を拒否した頃と重なるその年の夏と12月6日にゴルフをする場面が目撃されたというハンギョレの報道(1月17日付)とも一致する。イム副代表は「必ず現場を押さえて公開しようと決心」した。

―ゴルフ場で全氏一行に殴られたこともあるそうですね。

 「ついて回るのが早すぎたら気づかれるのではないかと思って、1番ホールが終わって2番ホールでドライバーショットをするのを見て、近づきました。カメラを何台も持って行きました。一つ取られたら他ので撮ろうと思って。ところが、一番高いものが奪われて投げられてしまいました。私たち一行の全員が殴られたんですが、幸いにもゴルフクラブのヘッドではなくグリップでした(笑)」

―イ・スンジャ氏にたくさん悪口を言われたそうですね。

 「ゴルフ場の会長と思われる男性が『お客さまとしてお迎えしている方だ』と言うので、『それなら利用料金は取っているのか』と聞いたんです。それを聞いたイ氏が突然大声で悪口を言いました。口汚い方でね。『○○○、 消えろ』とか何とか…。イ氏が一番敏感なのは金の問題みたいです。ソウル市の家宅捜索(昨年12月20日)時の状況を伝え聞いたところによると、全氏は部屋に入って戸をピシャリと閉めて、イ氏はかんかんになって税金を払う金がないと大声をあげていたそうです。ゴルフ場でも金の話が出ると悪口を言って、本当に低劣だと感じました」

―イ氏にとっては「虎の子の金」じゃないですか。

 「イ氏は家宅捜索を受けたのが悔しかったのか、その直後の1月1日にユーチューブに直接出演し、そこで『夫は民主主義の父』という妄言を吐きます。私は一定部分、道義的責任があるのではないかとまで思います」

 妄言はゴルフ場の映像にも記録されている。イム副代表が光州虐殺の責任を問うと、全氏は「光州と私に何の関係がある?」「光州虐殺に対して責任はない」「私は光州市民虐殺とは関係ない」と繰り返した。イム副代表は、全氏が「発砲命令」に関する質問に敏感に反応したと感じた。「私に『何だ、この野郎』と言ったものの、発砲命令を下したのかと聞くと、『発砲命令の位置にもいないのに、命令権もないのに』と言って長く抗弁するじゃないですか。かと思えば『お前、軍の入隊経験は」と聞いてきたり。4・19の際(1960年の4・19学生革命)に発砲命令を下したチェ・インギュ内務長官は死刑になっていますが、それで恐れているのかという気もします」

―全元大統領は発砲命令、イ氏は金に敏感だということですね。全氏に名刺も渡してらっしゃいますが、ちゃんと持っているでしょうか(笑)

 「ぜひ連絡してもらいたいです。会って虚心坦懐に話してみたい。なぜそうしているのか、盧泰愚(ノ・テウ)氏を見ろ、とにかく光州に謝罪し、追徴金もすべて払い、静かに過ごしているのに、あなたもその機会がある、こう勧めようと思って。ただの一言でも5・18に対する謝罪を引き出せたら最高ですけど、それを期待するのは…。最後まで言い逃れするタイプですよ彼は。盧泰愚氏の息子が今年、光州に2度行っており、夫人のキム・オクスク氏も1988年に望月洞(マンウォルトン)墓地を参拝していますが、真心がこもっているかどうかは別として、全氏とは相反する姿です」

―食堂の昼食会は、12・12クーデターの日付に着目して捕捉したんですか?

 「はい。まさかこの日はさすがに家にいるだろうと思いながらも、もしかしてと思って待っていたら、近いところでなく江南にまで出向くとはね」

 その日、全氏の自宅から江南区狎鴎亭洞(カンナムグ・アプグジョンドン)の中華料理店まで追いかけていった。ゴルフ場のような開けた空間ではないため、撮影に苦労した(この「営業秘密」は詳しくは明らかにできない)。最も安い8万ウォン(約7500円)の単品料理を頼み、それを食べながら2時間以上全氏一行を待った。

―全氏が2階から階段を降りてきましたが、女性の一行がイム副代表の口を手で抑えました。あの時の心境はどうでしたか。

 「ゴルフ場では殴られながらも、ある程度言うべきことは言ったのに、口をふさがれたせいで、最初の一言もまともに言えませんでした。全氏はその間に急いで車に乗って行ってしまいましたし…」

―口を塞いだものの「12・12クーデター記念昼食会」と見られるという報道があふれだすと、全氏側のミン・ジョンギ元秘書官が「偶然に定められた親交会の日取り」という長文の「報道参考資料」をリリースしました。

 「はい。4日後に予定されていた裁判に出ないと言っていました。裁判で大衆の目にさらされるのを何とか食い止めようとしているようですが、国民が激怒するような姿が二度も捉えられたので、強制拘引されるんじゃないかと危機意識を持っているようです。それと『善良なアルツハイマー』だなんて、あきれますよ」

 全氏側はA4用紙で3ページを超える資料によって、裁判の不参加は「被告人の防御権行使を放棄すること」と主張した。全氏はまた、「アルツハイマーを初期に発見し、地道に治療してきたおかげで、行動障害やうつ病、攻撃性行動、幻覚などの重症症状が見られない『善良アルツハイマー』を患っている」と語った。

―こんな部分もあります。「(全氏は)治療が難しい疾患を患っていることそのものより、妻を苦しめていることに心を痛め、絶望している。患者自身はもちろん、家族までも深い苦しみの中で生きなければならない不幸について、自分のことではないからといって残酷な言葉を投げつけるべきではない」

 「自分が血と涙を流させた人がどれだけいるのかってことですよ。あきれますね」

―「西大門の住民31万人に仕えると申し上げたが、たった一人、全斗煥氏にはできない」と言っていたのを見ました。なぜ執拗に追跡するのですか。

 「私は大田(テジョン)出身ですが、予想通り『お前、全羅道だろ』という悪質な書き込みが多いんです。5・18は光州だけの過去ではなく、大韓民国の悲しい歴史です。しかし、最終的な真相究明と責任者の処罰は行われていません。全氏が生きているうちにこの問題を解決しなければ、歴史の次のページをめくることはできない思います。特に5・18に対する歴史的評価を覆そうとする試みが続いているじゃないですか。イルベだけでなく、自由韓国党のイ・ジョンミョン、キム・スンレ両議員が公然と暴動だ何だと言っています。このような勢力と試みが依然としてあることを忘れてはいけません」

12月12日、ソウル江南区狎鴎亭洞の飲食店でイム・ハンソル正義党副代表が全斗煥氏に声をかけている=イム副代表提供//ハンギョレ新聞社

 イム副代表は2014年の地方選挙落選、2016年の補欠選挙落選を経て、3度目の挑戦で革新政党で初めて西大門区議会議員に当選した。「国会議員であれ区長であれ、自分の選挙区に全氏が住んでいるのに、毛の先一本触れてはいません。どれだけもどかしかったか分かるでしょう。自分で取り組みはじめちゃったんですから」。インタビューは自然と「青年政治」と「革新政治」へとつながった。

―年齢の割に政党生活が長いですね。国会の高齢化、青年世代を選挙の時だけ付き合わせるような政治に対する批判が大きいですが、どう思いますか。

 「一日中話さなければならなくなりますが(一息ついて)…。私は運がいいケースです。大学卒業直後に第17代国会のノ・フェチャン議員室で働いて、第19代国会のシム・サンジョン院内代表の公報秘書もしましたし。二人の傑出した革新政治家の近くで働いていて、自然とトレーニングできたのです。地方選挙出馬によって地域政治も経験しました。どの党であれこのような経験が制度化されるべきだと思います。ドイツなどの先進国のように10代後半から自然と政党に接して、政党活動を通じて政治家として訓練されるシステムが必要です」

―フィンランドでは34歳の女性首相が誕生しました。

 「私が区議員選挙に初めて出馬したのが34歳の時だったのですが(笑)…。韓国では青年世代が政界に入るための基盤が何ら提供されていません。それを政党が提供すべきで、革新政党の正義党でまず活性化させるために私が貢献したいです」

―最近のもっとも大きな悩みは何ですか。

 「子育てです(彼は6歳と4歳の2人の子供の父親だ)。罪の意識を感じるほど子供たちとともに過ごすことができていないんです」

―全斗煥の追跡は続けるんですよね?

 「はい」

イ・ジウン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/politics/politics_general/921671.html韓国語原文入力:2019-12-22 09:05
訳D.K

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