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「桜咲く順に大学滅びる」地方の青年たち、あきらめの中にも…

登録:2019-12-03 03:50 修正:2019-12-03 15:36
[もし韓国の若者が100人だったら](1)地方・学閥差別 
公然と「編入しろ」という地方大学の教授 
地方大学生の半数以上、「離れたい」 
職場まで続く「無視・差別・孤立」 
大学名の代わりに「自分の夢」追い 
劣悪な現実で「未来」作りも
全国の満19~23歳100人に対する深層アンケート//ハンギョレ新聞社

 英国下院の議場の床には赤い「剣線(ソードライン)」が2列引いてある。対座した与野党議員が論争の途中で剣を抜いてお互いを刺せないように引いた線だ。激しい討論が繰り広げられる英国議会の象徴だ。慶尚南道金海市(キムヘシ)の22歳の大学生、チョ・ジフンが政治外交学科を選択した理由は、そのような熾烈な政治を韓国でやってみたかったからだ。

 大学でチョ・ジフンがまず学んだことは自嘲だった。「桜の花が咲く順に大学は滅びる」。チョ・ジフンが通う金海のある大学の教授たちは、「近いうちにソウルから遠い順に大学が一つずつ消えていくだろう」という。チョ・ジフンは、ただ親の親の親が定着した金海で生まれ、そこで大学に通っているだけなのに、周りはその2つの事実だけでチョ・ジフンに対する評価を簡単に済ませる。チョ・ジフンは未来を計算するたびに、「溜まった洗濯物をまとめてやるように暗澹とする」と語った。「うちの学科ではうまく行けば銀行に就職するんです。でも普通、就職した先輩たちを見ると月給は180万~250万ウォン(約16万5千~18万4千円)くらいです。250万ウォン以上もらえる職業を持つのはとても大変そう…。私はお金とは縁遠い職業を選ぶと思うのですが、電卓をたたくと『どうやって生きていこう』という気にしかなりません」。

全国の満19~23歳100人に対する深層アンケート//ハンギョレ新聞社

 両親はチョ・ジフンが高校2年の時に離婚した。父親が事業に失敗し、離婚後、保険設計士として働く母親がその借金を抱えた。チョ・ジフンは高校3年生の時、随時選考(大学入試の一形態)を終えてからコンビニ、ファミリーレストラン、化学工場、ホテル、サムギョプサルの店などで休みなく働いた。今はファストフード店で週に3~4日、1日5~6時間ずつ働いている。チョ・ジフンに経済的援助が欲しくはなかったのかと尋ねた。「そのような言葉は、高句麗が三国を統一していたら満州は韓国の領土になっていたというくらい意味がありません。体は非常に疲れますが、与えられた環境で最善を尽くす方法しかないでしょう」。

 チョ・ジフンは自分を「主流の外の人間」と定義した。チョ・グク前法務部長官の娘の「スペック相互扶助」疑惑以降浮き彫りになった対立では、どちらの側にも立てなかった。「チョ前長官の家族にも同意できませんでしたが、ソウル大学の学生たちのデモにも同意できませんでした。しかも、東洋大学がチョ前長官の娘に表彰状を授与したことが果たして入試に役立ったかという話も出ましたが、その言葉には地方の大学を見下す意図が隠れているじゃないですか。この根深い学閥主義は解決されなければならないと思います。内申3~4等級だったチョ・ジフンが地方の私立大学で頑張れば成功できるという希望を持てることこそ公正で、大学の名前だけで全てが決まるのは公正ではないでしょう」。

 チョ・ジフンの現実はチョ・ジフン自身の信念を抑圧している。「友人たちはよく、編入学してソウルに行けと言うんです。でも、みんなソウルに行ってしまったら地元はどうなるんですか。私のような人間が努力して暮らしやすい町を作らなければならないと思ったんです。でも編入を勧める話ばっかり聞いていたら、パニックになってしまいました」。

 ハンギョレが会った首都圏以外の地域の大学生47人のうち、半分以上の26人(55%)は自分が住む地域を離れたがっていた。首都圏の専門大学(2年または3年制の職業教育を中心とする教育機関)や4年制大学に通う学生36人に同じ質問をしたところ、今住んでいる地域を離れたいと答えたのは8人(22%)だった。首都圏以外が首都圏より2.5倍多い。多くの地方の大学生はチョ・ジフンの友人のように「編入」を人生を変える突破口と考えていた。地方の大学生は離れたい理由を「機会が少ないから」と答えた。大邱(テグ)のある4年制大学に通う21歳のカン・ウンビ(仮名)は「就職する企業がそれほどないので、何が何でもソウルに行かなければならない」と話した。

 地域には学べる場所もあまりない。慶尚北道のある大学を卒業した25歳のキム・テグァンは俳優が夢だった。しかし、故郷の昌原(チャンウォン)や学校のある慶尚北道には演技を学べる場所がなかった。彼は2016年12月にソウルに行って味噌チゲの店でホールのバイトなどをしながら、清潭洞(チョンダムドン)の演技塾に通った。しかし、生活費と塾の費用のストレスでうつ病と診断され、故郷に帰った。故郷に帰ってから、キム・テグァンは演技の夢をあきらめた。しかし、依然として知りたいことがあり、演技の先生を探す携帯電話のアプリを起動した。ソウルではいつも近くにいる演技の先生を見つけられたのに、昌原では最も近い先生でも50キロ近く離れた釜山。会うことができる友達さえ限られる。「ソウルには趣味と価値観を共有できる友達がいたのに、故郷には思い出を共有する友達しか残っていません」。

 差別と孤立を感じるのは、ソウル以外の大学生だけではない。専門大学の学生も同じ立場にある。高等教育法第47条には、専門大学は「専門職業人を養成することを目的とする」と明示されている。「深奥な学術理論とその応用方法を教え、研究」(第28条)する「大学」とは別の、固有の役割がある。しかし序列にこだわる社会は設立目的が異なる専門大を最下層に位置付けた。全羅南道のある専門大学を出て同地域の総合病院で医療技師として働く23歳のコン・ミンジョン(仮名)には心に傷がある。コン・ミンジョンはソウルのA大学病院で実習を受けた。ある日、親しい実習生たちと行った飲み屋で他の実習生たちと出くわした。コン・ミンジョンの一行はみな地方の専門大出身で、出くわした人たちはみなA大学出身だった。後日、実習の講師がA大学出身者だけを集めて設けた飲み会だったということを知った。差別は職場にまで続いた。「4年制大学を出てうちの病院で働いている人たちには『なぜあえてうちで働いているんですか? もっといい所に行ったらいいのに』と言うんです。ところが専門大出身にはそのようなことは言わず、それとなく無視します」。

 ハンギョレは大学生83人に学校生活満足度(10点満点)を尋ねた。その結果、ソウルの大学生は平均7.5点、地方の大学生は6.8点、専門大生は5.3点だった。首都圏のある専門大学に通う20歳のキム・スジョン(仮名)は2点をつけた。学校は学生たちにまともに教える気がないように見えた。授業の質は低く、学校の資金を横領する教授がいるといううわさが流れた。教授たちさえ「あなたは洗浄(編入)をしなければならない」と公然と言い放った。キム・スジョンは、韓国社会で学閥がどれほど重要と思うか10点満点で答えよという質問に、ためらうことなく「10」と答えた。「出身校が大事じゃないですか。人が初めて会った時に聞くのも『どこの学校を出たんだ』でしょう」。

南ソウル大学の学生たちが10月23日午後、忠清南道天安にある南ソウル大児童福祉学館の講義室でハンギョレの企画「もし韓国の若者が100人だったら」に関する深層アンケートに答えている=キム・ヘユン記者//ハンギョレ新聞社

 「もし韓国の若者が100人だったら」、19~23歳の若者のうち、専門大学やソウル以外の地域の大学に通うのは67人だ。しかし、彼らは自分を多数派だとか主流だとは感じていなかった。

 地方の若者たちは、絶対に自分が主流になるべきとは思っていなかった。今の生活でも自分の未来が現在より良くなることを期待して生きている人は多かった。馬山大学ホテル観光バリスタ科に通う19歳のシン・ミョングァンもそのひとり。シン・ミョングァンは学校生活満足度を10点満点の「8」と記した。中学時代にハンドドリップとサイフォンコーヒーの淹れ方を知ってから、彼はバリスタという専門職を夢見はじめた。「とにかくここに入学するために勉強しました」。まだ1年生だが、彼はすでにバリスタ1、2級とトレーナーの資格をとった。「外国のホテルでバリスタとして働きたい」というシン・ミョングァンの表情は、インタビューの間ずっと明るかった。京畿道の4年制大学に通う21歳のチェ・ユリ(仮名)は、オルタナティブ・スクールの中学校に通っていたが、音楽をやりたくて退学した。しかし、「大学には通いたい」という気持ちが生じ、大検予備校を経て今の大学に入学した。チェ・ユリは学校生活満足度を「10点満点」とした。「改めて学校に通ってみたら、何かを学ぶこと自体が楽しかったんです。誰かに私の考えを尋ねられるのも初めてだったし、その過程で自分の成長の可能性を見出したのも良い経験でした」。チェ・ユリが直面する現実も、多くの若者たちと同じく甘くはない。「1カ月50万ウォン(約4万6000円)で暮らしています。厳しい人生ですよね。周りには就職で大変な人も多いです。それでももっと年を取れば私も成長するし、そうなれば社会でももっと認められると思います」。

 それは一種のあきらめかもしれない。仁川(インチョン)のある専門大学に通う20歳のミン・ソラ(仮名)は、学校の環境は劣悪だが、自分の未来はいつか良くなると思っている。学校で学ぶことがないのは同じ専門大生のキム・スジョンと同じだが、ミン・ソラは就職してからのことだけを考え、現実は忘れるようにしている。「人間関係を除けば、学校で満足できることはありません。なぜ受けなきゃならないのかわからない授業も多いですし。でも就職すれば私もいろいろ経験を積むわけですし。すぐには大企業に入れないでしょうけど、その下の段階でキャリアを積めば、いろいろなチャンスが開けるのではないかと思います。営業やマーケティング戦略を練ることができる中小・中堅企業を調べているんですよ」。

 ハンギョレが会った、ソウル以外の私立大学の学生29人のうち、大企業志望はたった2人だった。9人は中小企業志望だった。専門大生(28人)も大企業志望は2人だけだった。中小企業志望の専門大生は11人だった。地方の国立大学の学生(10人)は、3人が大企業志望だった。一方、ソウル地域の大学生16人のうち、中小企業志望は1人もいなかった。半分の8人が大企業志望だった。これは差別が固定化したものと捉えられるが、あきらめの中でも自分が直面する現実をより良い未来に作り変えようとする人々がいるということでもある。

 英国下院の剣線が左右を分けるなら、ソウルの境界と「4年制」の敷居は韓国の若者たちを上下に分ける。韓国社会は生涯のすべての瞬間で「お前はなぜその線を越えられないのか」と問う。固定化した差別の中で現実を克服するために今日を生きる若者たちに必要なのは、すべての瞬間で試験する社会ではなく、平等な人生のために若者たちを支援する社会だろう。

キム・ユンジュ、キム・ヘユン、カン・ジェグ、ソ・ヘミ記者

(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/919204.html韓国語原文入力:2019-12-02 05:00
訳D.K

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