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北村 育てて10年‘ユネスコ賞’受賞

https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/386351.html

原文入力:2009-11-06午後08:11:13

ソン・チェギョン化記者

清渓川と鍾路の上方町内という意味で‘北村’という名前を得た鍾路区北村韓屋村(ハノク マウル)は昔から権門勢家たちの住居地としての地位を保ってきた。

1906年の戸籍資料によれば北村全体人口1万241人の内、両班と官僚が43.6%を占めていた。開化期と日帝強制占領時期は朴泳孝や金玉均など開化派たちと閔泳徽の子息の閔大植など驪興 閔氏勢力たちが北村に多く暮らした。

住宅難が深刻化された1910年代には住宅経営会社らが北村に韓国式家屋を大規模に建設しこれを分譲し始めた。この時期からは韓国式家屋にガラスやタイルなど以前は使われなかった新しい材料が使われるようになった。1960年代後半から1980年代までは本格的な江南開発がなされ、北村にあった京畿高と徽文高校,彰徳女子高が江南へ移転し、その場所には各々チョンドク図書館,現代建設社屋,憲法裁判所が入った。1990年代には北村の建築基準が緩和され韓国式家屋が撤去され多世帯住宅建設が広がり始めた。

2000年代には毀損された北村を育てる事業が本格的に始まった。1999年ソウル市政開発研究院は住民組織である‘鍾路北村育てる会’の要求で北村育て政策を樹立した。以後、北村はソウル市と北村住民,学界および専門家間の協力を通じて都心の中の伝統住居地として活力を生み出すことになった。

‘北村育て事業’のこうした努力が世界に認められた。ソウル市は6日‘北村育て事業’が鍾路区,桂洞の仁村記念館で開かれたユネスコ アジア・太平洋文化遺産賞受賞式で韓国初の優秀賞を受けたと明らかにした。無分別な開発と無関心の中で存亡の危機に瀕していた北村を保存・復元することに卓越した成果を示したことが認められ、今回の賞を受けることになったと市は説明した。

ソンチェ・ギョンファ記者khsong@hani.co.kr

原文: 訳J.S