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[このひと]ニュータウン‘麗しい町内’を失うこと…

https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/384981.html

原文入力:2009-10-30午後06:51:41
‘古家’保存に出た北阿峴洞の住民たち

ソンチェ・ギョンファ記者

←ソウル,西大門区,北阿峴洞再開発区域組合員たちが仁川市,東区,松現洞の水道局山貧民街博物館で60年代庶民の生活像を見て回っている。水道局山は仁川の代表的な貧民街で今はアパート街に変わっている。

“真冬に路地が凍りつけば北阿峴洞の丘のてっぺんから木板に乗って楽しく大道りまで降りてきたりした。”

ニュータウン再開発区域のソウル,西大門区,北阿峴1-2地区組合長チョン・チョルヒョン(53)氏はこう話して微笑を浮かべた。チョン氏は北阿峴洞で生まれ今まで暮らしている原住民だ。彼は「80年代以前まで北阿峴洞は韓国式家屋と板張りの粗末な家が大部分だった」として「これがすでに2回目の再開発で以前の町内の様子をいろいろ思い出す」と話した。

船橋コルを訪ねて昔の情緒‘ぐっしょり’
再開発されても韓屋など保存へ
“昔の町内を追憶できたら”

チョン氏のように昔の姿を残そうということに志を同じくする北阿峴洞再開発組合員20人余りが30日午前、忠正路に集まった。これらは市民団体文化ウリ,西大門区庁ニュータウン総括チームと共に昔の姿をよく保存したり記録した地域を訪問することにした。北阿峴3区域組合員ハン・ジウォン(39)氏は「この間、麗しい町内で暮らしているという自負心が大きかった」として「子供たちが育った後に、昔の町内を追憶できる空間が少しでも残っていなければならないのでは」と話した。

この日、北阿峴の住民たちは昔の村の構造と情緒がまだよく残っている仁川,東区船橋ゴルを訪ねた。彼らはここで我が国のマッチの60%を供給した船橋ゴル マッチ工場が痕跡もなく消え、100年以上の歴史をもつ船橋ゴルも再開発の危機に置かれたという説明を聞いて、自分のことのように共感した。仁川市,東区,松現洞,水道局山貧民街博物館では60~70年代に自分たちが暮らした貧民街を思い起こし感傷にひたりもした。北阿峴洞に40年暮らしたというシン・セギュン(59)氏は「北阿峴洞の丘にアイスケーキ工場があったが、四角形のアイスボックスに入れて売った姿が鮮やかに浮び上がる」と話した。

ソウルに戻る車の中で北阿峴洞の組合員たちは北阿峴の路地の保存規模や方案について議論した。組合員たちはすでに北阿峴の家屋の原形を一部でも保存しなければならないという点では共感していた。ハン・ジウォン氏は「クムファアパート付近に公園ができるが、こちらのかつての家々をそのまま保存する方案を議論している」と話した。この日住民たちと踏査を共にしたイ・ジュンジェ文化ウリ事務局長は「再開発される北阿峴洞に単に記録や跡だけでなく実際の家屋が保存されるならばこれはソウルで初めてのこと」として「住民たちが自らこういう運動をするということ自体に大きな意味がある」と話した。

文・写真ソンチェ・ギョンファ記者khsong@hani.co.kr

原文: 訳J.S