グローバル超一流企業として君臨するサムスン電子は、今や韓国だけの企業ではない。超国籍企業サムスン電子は、世界の人々にどんな姿に映っているのだろうか。サムスン電子で働く労働者は、サムスンに対してどう思っているのだろうか。特にサムスン電子の主要生産基地に浮上したアジア地域の労働者の暮らしと労働の現実はどうなっているのだろうか。この質問の答えを得るために、ハンギョレはベトナム、インド、インドネシアのアジア3カ国9都市を訪ねた。2万キロ余り、地球半周分を巡って136人のサムスン電子労働者に直接会って質問調査した。国際労働団体がサムスン電子の労働条件に関する報告書を発刊したことはあるが、報道機関としては韓国内外をあわせて最初の試みだ。10人の労働者に深層インタビューし、20人余りの国際経営・労働専門家にも会った。70日にわたるグローバル・サムスン追跡記は、私たちが漠然とは察しながらも、しっかり見ようとしなかった不都合な真実を暴く。真実に向き合うことは、そのときは苦痛かもしれないが、グローバル企業としてサムスンがブランド価値を高めるためには避けられない過程だと判断する。5回に分けてグローバル超一流企業サムスン電子の持続可能性を尋ねる。
「問題社員(MJ)の一挙手一投足を監視」 「労組設立時に主導者解雇、御用労組を作り勢力拡散防止」 「家庭の事情(離婚)、金銭問題などあらゆる方法動員し目標達成」
サムスンが作成した「労使管理基本指針」(1989)と「Sグループ労使戦略」(2012)「組織安定化方案」(2014)文書などで明らかになった労組破壊戦略の一部だ。サムスンは韓国で査察、尾行、暴行、脅迫、解雇などあらゆる違法な手を動員し「無労組経営」の原則を守ってきた。海外工場も例外ではなかった。サムスンの労組破壊形態は、この企業が進出した所ならば、どこでも決まって現れた。そして、絶えず破裂音を立てていた。
ハンギョレは今年4月から、サムスン電子の海外工場における労働組合の設立および活動の自由、すなわち“結社の自由”が保障されているのか、実態を取材した。
問題社員洗い出し、ソーシャルメディアまで統制
サムスンは、海外でも労働者の集団行動の可能性をあらかじめ遮断することに総力を挙げていた。先月中旬、ベトナム・バクニンのサムスン電子工場前でハンギョレと会った労働者は「労務部がソーシャルメディア(SNS)まで統制する。管理者に呼ばれて、なぜ会社に関する批判文を上げたのかと叱られた職員もいる。会社への批判文が上がれば、すぐに(管理者に)報告するよう教育される」と話した。
どんなに小さなことでも集団行動をすれば報復が繰り返された。あるベトナムの労働問題専門家は、2014年にバクニン工場の生産ライン一つのチーム(約4人)が管理者に高い労働強度について抗議したところ、次々に解雇されたと伝えた。初めは懲戒にとどまっていたが「二度と抗議しない」という内容の覚書を書けとの要求を拒否すると、即刻解雇につながったとこの専門家は証言した。
労組を作る可能性がある“問題社員”を洗い出して懲戒する手法も韓国国内と同じだった。インド・ノイダ工場で14年間勤務したチャン・デル・ワティ氏(41)は、ハンギョレとの電子メールインタビューで「労組の結成を推進したという理由で解雇された」と明らかにした。彼は「同僚から『明日、ストライキをして工場外でデモをする』という携帯メールを受け取った。この携帯メールを他の同僚に伝えたが、管理者は労組の“リーダー”だろうと追及し、辞表を書けと迫った。誤解だと説明したが、結局はクビになった。2011年2月9日に解雇通知を受け取った」と話した。ワティは、サムスンを相手に不当解雇取消請求訴訟を進行中だ。
ベトナムでは“共産党=労組”
サムスン電子のベトナム・バクニンとタイグエン工場は、事実上は無労組事業場だった。労組を標ぼうする団体はあるが、労働者よりは会社と協力的な関係を結んでいるためだ。ベトナムの労働法上、労働者は唯一の労組であるベトナム労働総連盟(VGCL)に所属する労組に義務的に加入しなければならない。サムスン労組は、この連盟に所属している。ベトナム労働総連盟の委員長は、共産党中央委員が務めるよう憲法に明示されており、ベトナムの労組は事実上労働者の声を代弁する団体としての役割を果たせない。
匿名を要求したベトナムの労働団体関係者は「サムスンは御用労組が存在するので複数労組は必要ないという論理を展開している。サムスンが共産党と関係をよく維持すれば、労組の声を統制できる。事実上の無労組状況に近い」と説明した。
下請にも“無労組”原則を強要
サムスンの無労組原則は、下請事業場でも例外でなかった。インドネシアではサムスンの下請事業場17カ所(全体で80カ所余りと推定)が、2012年前後に「処遇改善」を要求して金属労働者連盟(FSPMI)に加入したが、サムスンの圧力ですべて瓦解した。
労組の設立と破壊の過程を見守った金属労働者連盟のイスマイル教育組織局長は「サムスンは下請の社長に公文を送り、組合員を解雇し労組をなくすよう要求した。その後、発注量を切ったりサムスンが供給した機械を回収するなどの方法で報復した」と話した。サムスンの管理者が直接下請の組合員を訪ねて行き、金を渡して労組からの脱退を勧めるケースもあった。多くの事業場は、労組結成から1~2年以内に労組をなくしたり、あるいは下請契約を切られて事業をたたまなければならなかった。現在、金属労働者連盟に所属するサムスンの下請労組は一カ所も残っていない。
労組の設立妨害と瓦解行為は、世界の大多数の国で労働法違反だ。国際労働機構(ILO)の核心協約の一つである結社の自由協約にも反する。サムスンは、持続可能報告書を通じて現地事業場の結社の自由を保障するという立場を数回明らかにしたことがある。
タイ、ハンガリー、マレーシア…ドイツでは提訴され
サムスンの海外工場における労組破壊の歴史は短くない。サムスンの無労組原則が世界に知られたきっかけは、1995年のサムスン電子ドイツ支社の従業員評議会結成妨害事件だ。ドイツの産別労組である商業銀行保険労組の発表によれば、ドイツ支社で労使協議体格の従業員評議会を作るという知らせに、韓国本社のN副社長がドイツ支社に「評議会が設立されれば支社を閉鎖する」という脅迫を帯びた公文書を送った。評議会の設立を主導した労働者5人が解雇された。だがサムスンは、ドイツの労働裁判所に提訴され、「評議会の構成を保障せよ」との判決が下された。
国際的な赤恥をかいても、サムスンは無労組経営をごり押しし続けた。マレーシアの電気産業労組が1999年6月にサムスン電子労組の設立を宣言すると、韓国人管理者は組合員から労組脱退署名を集めて回った。マレーシア労働組合庁が、「サムスン電子は電子産業に属するので、サムスン電子の労組は電気産業労組には加入できない」というおかしな結論を出し、労組設立の試みは虚しく失敗に終わった。労組は、サムスンが政府を圧迫して有利な結論を出させたと見ている。タイのサムスン電気でも、2005年に分社過程に抗議する労働者たちが労組の設立を試みたが、サムスンは代表者7人を解雇する方法で労組活動を無力化した。ハンガリーのサムスン電子工場でも、1990年代から非正規職労働者を中心に労働組合を設立する動きがあったが、サムスンの妨害で実現できなかった。
無労組は“低賃金維持”の核心戦略
サムスンは、なぜ国際社会の批判にもかかわらず無労組原則を守ろうとするのか。専門家たちは、無労組経営が低賃金構造を維持するための核心戦略であるためだと分析する。インドネシアの労働団体LIPSのパフミ所長は「サムスンが労組を認めない理由は、賃金、福祉、労働時間、生産目標のすべてを直接コントロールするためだ。労組がなければ、どれほど劣悪でも労働者が集団で抗議する方法はない。会社の不正、労災死亡問題が公開されることも阻める。こうした環境でアジア地域の労働者から絞り取り、利潤を最大化した」と指摘した。西江大国際韓国学科のチャン・テオブ教授は「サムスンの構造を調べてみれば、本社-韓国工場-海外工場-海外下請という段階別構造が存在する。超一流サムスンは、下段階の労働者の犠牲を積みあげた結果だ。もし労組ができて労働者の声が強まるならば、現在の低賃金構造を維持することは難しい。無労組経営は、サムスン・システムを維持する核心戦略だ」と説明した。