済州島民の“ワルダ”ことハ・ミンギョンさん(39)とイエメン人のモハンマド・アルママリさん(36)は昨年11月、済州市の三徒2洞の路地の入り口に小さな飲食店を開いた。ハさんが注文とサービングを担当し、アミン(アルママリ)さんは厨房で料理をする。飲食店の名前は「ワルダレストラン」。昨年済州に来たイエメン人たちがハさんに付けた“名前”から取った。“ワルダ”はアラブ語で“花”を意味する。ワルダとアミンの二人は、春の日差しがあふれる4月、済州で結婚する。
済州島でハラール料理(イスラムの律法によってムスリムが食べられる食品)を売る所はワルダレストランが唯一だ。アミンさんは「アラブ人と韓国人が友達になる所」と言った。アミンさんは昨年5月、戦争を逃れて済州に来た500人余りのイエメン人の一人だ。
ハさんは小学校で国楽を教えている。飲食店には午後遅くに出てくる。アミンさんは飲食店が開店する昼12時から夜10時まで厨房にいる。二人は英語、アラブ語、韓国語を交えながら「食堂について、食べ物について話し、笑い騒いだ」という。そうして愛が芽生えた。ハさんの友人でワルダレストランを一緒に運営するイ・イェスさんの言葉を借りれば「気づかなかったが、不思議ではないこと」だという。
結婚式は7日、済州で伝統婚礼の形で行う。1日と2日、ワルダレストランで会ったアミンさんとワルダ(ハさん)は愛しあうようになった理由を「尊重」から見つけた。「ミンギョンは私を尊重し、私はミンギョンを尊重しています。私たちの周りには私たちを尊重する素晴らしい友達が多いです。この予想もしなかった出会いは、私の人生にとって祝福となりました」(アミン)。「私はアラビア語と英語を少ししか話せず、アミンは韓国語と英語を少ししか話せません。そうやって話しているのに、気が合うんです。たまにけんかする時も、身振りを交えて話せば結局笑って終わってしまいます」(ハさん)。それで友人たちへの招待状は二人の愛をつないだハングルと英語、アラビア語の3言語にした。「やさしくて親切な、人々を助けながら生きる素敵な人たちの結婚式に招待します!」
ハさんはイエメンがどこにあるのかも知らなかった。昨年6月初め、イエメン人が済州島に来たという事実を知った。その日に限って済州は肌寒く、雨が降った。韓国舞踊と国楽を専攻したハさんは、100平方メートルほどの練習室を持っている。「難民を支援している方に連絡して『私の練習室が空いているが、どうだろうか』と聞きました」。「屋根さえあればいい」という答えが返ってきた。その日のうちにイエメン人10人余りがハさんの練習室に来た。
その後、練習室はイエメン人のための「非公式の憩いの場」になった。法務部が昨年末に難民審査を終えるまで済州に足止めされたイエメン人たちは、ハさんの練習室で職場の状況を共有し、韓国語を学び、見知らぬ人の“歓待”を経験した。そうして練習室を訪れていったイエメン人は100人余りに上る。
いつも食べ物が問題だった。イスラム律法による食べ物しか食べられないムスリムは、ゼリーを食べる時も「豚肉」が入っているか成分表をよく見なければならない。済州島に登録された外国人は2万人を超える。相当数は、農業や養殖場で働くムスリムだ。済州にはまともなハラール料理を売るレストランがなかった。練習室に集まったイエメン人たちは、苦労して買い集めた食材で故郷の料理を作って食べた。
ワルダレストランのアイデアはここから始まった。済州沖合で船で働いていたアミンさんは、イエメンとマレーシアで料理師として働いていた経歴がある。「スパゲッティやサラダ、スープなどテストフードを作って実力を検証する機会がありました。すごく緊張しましたが、その時、実力を認められて『シェフ』として迎え入れられました」
1日夜に訪ねたワルダレストランには、空席がなかった。マレーシアの観光客、済州に定着したイエメン人、城山浦(ソンサンポ)の養魚場から一時間車に乗ってきたというインドネシア人の移住労働者たちが、気楽にハラール料理を楽しんでいた。ハさんはすべてが「水が流れるように起こった」と話した。「だからこの結婚を特別なことのように受け止めないでほしいです。ただ偶然出会って起こったことですから」
昨年の「難民の恐怖」はどこへやら、済州と“陸地”では何の事件も起きなかった。その代わり、ワルダとアミンの愛という小さな実が結ばれた。