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「麗順事件」民間人犠牲者71年ぶりの再審

登録:2019-03-21 21:36 修正:2019-03-22 07:03
最高裁、「当時軍警が不法逮捕・監禁」 
犠牲者3人の遺族の再審請求を受け入れ 
名誉回復特別法処理にも弾み
韓国最高裁(大法院)全員合議体は21日午後、ソウル瑞草洞の最高裁法廷で故J氏など3人の再審認容決定に対する再抗告事件で再審開始を決めた原審を確定した=キム・ボンギュ先任記者//ハンギョレ新聞社

 71年が過ぎても“歴史”でなく“理念”に縛られている「麗水(ヨス)順天(スンチョン)事件」民間人犠牲者の再審裁判がついに開かれることになった。再審の結果により国会係留中の麗順事件真相究明および犠牲者名誉回復特別法案(4件)の処理にも弾みがつく展望だ。

 最高裁全員合議体(裁判長 キム・ミョンス最高裁長官、主審キム・ジェヒョン最高裁判事)は21日、麗順事件当時に反乱軍に協力したという容疑(内乱および国権紊乱罪)で軍警に逮捕・連行され銃殺されたJ氏(当時28歳)、S氏(当時31歳)、L氏(当時21歳)の遺族が出した再審請求を受け入れることを決めた。最高裁は「裁判所が発行した逮捕状なしで軍警によって不法に逮捕・監禁された事実が認められる」として、警察の不法行為を根拠に再審開始を決めた原審判断は正しいと明らかにした。最高裁は「当時の軍警による民間人逮捕・監禁が、一定の審査や調査もなく無差別的になされたということがわかる。被告人の連行過程を目撃した人々の陳述もこれに符合する」と判断した。

 麗順事件は、1948年10月19日全羅南道麗水に駐留した国防警備隊第14連隊所属の軍人2000人余りが、済州(チェジュ)4・3を鎮圧せよとの出動命令を拒否して始まった。翌日、反乱軍は順天地域を占領したが、鎮圧軍は10月末に麗水・順天地域を奪還した。J氏らは、この時期に職場の同僚や村の住民と共に警察に逮捕・連行され、近くの山で死刑判決が執行され銃殺された。

 事件の名称は麗順(麗水・順天)だが、当時の事件を始め1950年10月までの2年間、全羅南道・全羅北道はもちろん慶尚道地域で左翼・右翼の人士や罪のない民間人が軍警などにより犠牲になった。「反乱軍協力者探索」が主な理由であった。実際に反乱軍に加担したケースもあるが、加担したという誣告、強要による宿泊提供、作戦地域の居住民という理由だけで集団犠牲にあいもした。

 真実・和解のための過去事整理委員会(真実和解委)は、2009年1月、調査結果を通じて麗順事件の直間接的影響で全羅南道地域で1340人、全羅北道で23人、慶尚南道で379人、慶尚北道で304人が犠牲になったと推定した。順天一帯だけで民間人430人余りが集団射殺された事実も確認した。真実和解委は、調査の限界に言及して「犠牲推定規模は、実際の軍警による民間人犠牲者のきわめて一部に過ぎない」と明らかにした。1949年11月の全羅南道調査では人命被害が最大で1万1131人に達すると集計されもした。

 J氏など犠牲者の遺族たちは、このような真実和解委の調査結果を根拠に再審を請求した。2014年12月、光州(クァンジュ)地方裁判所順天支所が再審開始を決めたが、検察は「捜査・公判記録が存在しない状況で遺族たちの主張と歴史的情況だけを根拠に再審を決めた」として抗告した。翌年7月、光州高裁は「真実和解委が調査した麗順事件当時の警察官(15人)および軍人(44人)が『民間人が恣意的かつ無理に連行され殺害された』と認めた」として、再度再審開始を決めた。検察は再び従わずに再抗告し、2015年7月に事件を担当した最高裁(大法院)は審理をずっと先送りし、3年8カ月ぶりに再審開始を確定した。この事件の再審は光州地方裁判所順天支所で開かれる。

 一方、最高裁判事13人のうち、チョ・フィデ、イ・ドンウォン最高裁判事は「再審理由である当時の警察の職務上の犯罪は証明されなかった」として再審開始反対意見を出した。パク・サンオク、イ・ギテク最高裁判事は「公訴事実を知ることができない以上、刑事裁判の再審は不可能だ」として、同じく反対意見を出した。一方、多数意見は「死刑が執行された事実は、当時の判決内容と被告人の氏名が記載された判決執行命令書および当時のマスコミ報道で知ることができる。死刑判決文は発見されなかったが、判決文は国家が作成し保存する責任がある」として再審の開始を決めた。

チェ・ウリ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/886893.html韓国語原文入力:2019-03-21 19:49
訳J.S

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