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「私たちはあなたのポルノじゃない」違法撮影被害者に対する初の追悼祭

登録:2019-01-31 10:14 修正:2019-01-31 11:36
30日に死去した「違法撮影と不同意流布」被害者のための 
「名前のない追悼祭」開催 
「自殺ではなく社会的他殺」
今月30日に開かれた「名前のない追悼祭」の様子//ハンギョレ新聞社

 「被害者の名前はここにいる方々だけが知っておき、これ以上広がらないことを願います。記者の方々は記事に書かないでください」

 マイクを握ったAさんの声が細く震えた。Aさんは2017年8月、サイバー性暴力被害に遭った友人を亡くした。「被害者の名前を知れば、その名前で動画を検索してみる人たち、そういう人たちがいるんです」

 30日午後7時から8時、ソウル光化門(クァンファムン)広場の世宗大王像の前で、「違法撮影と不同意流布」被害に遭い死に至った人々のための初の追悼祭が行われた。緑の党、花火フェミアクション、フェミ党結党の会、韓国サイバー性暴力対応センターなどが主催した。平日の夜の寒天にもかかわらず、参加者200人余りが集まった。被害者が死んでも“遺作”という話題をつけ映像を流す流布者たち、こうした流布行為を放置する法と制度の空白のために、被害者の名前は「知っていても呼べない」名前になった。

 Aさんは「彼女がどのように死んだのかを話そうと思う」と言い、「彼女は(ウェブ上のストレージ・サービスのウェブハードで自分の動画を発見した)その年の5月から始まり、じわじわと殺され、その日最後の息が途絶えた」と語った。「生きたかった彼女を、毎日毎日殺していた一つひとつを覚えています。『おいしそう』『あんなXXを着るようなやつは雑巾』『自分が見た国産トップ10に入る』(…)それ以外にも数千あるが全部覚えています。どうして彼らは、こんなコメントをつけることができたのでしょうか?誰の庇護があったから可能だったんですか?どうして彼女を殺し、私の日常を破壊するのも傍観していたんですか?」

今月30日に開かれた「名前のない追悼祭」の様子//ハンギョレ新聞社

 追悼祭の主催者らは共同発言文を通じて「性的撮影物の不同意流布を性暴力とも呼べなかった過去から今まで、私たちが成し遂げたことも多かったが、失ったことも多かった」とし、「激しく闘っている間は受けたことも気づかなかった傷を保護し、互いに見つめ合い、慰めあい、涙を流した一日の果てに、また『国産XXX』(という侮辱)にさらされるのではないかと懸念し、名前を知っていても呼べないあなたに、必ず伝えたいことがある」と語った。「必ず伝えたいこと」とは、「あなたの過ちではなかった」という言葉だ。「1年で、世の中は少し変わった。いまこの社会はあなたの死をあらためて解釈しようとしている。私たちはここで、サイバー性暴力被害経験者の死をあらためて命名する。原因不明の自殺者1と集計されたあなたの死は、他殺事件だった」

 被害経験者を支援する韓国サイバー性暴力対応センターの活動家イ・ヒョリン氏も、追悼発言を通じて「もしかしたら自分のせいだと考えて苦しんだのではないかと思い、遅くなったけれど今からでも伝えたい」とし、「このすべては、あなたの過ちではありません。どうか安らかに」と語った。「サイバー性暴力被害の支援者としてではなく、死んでいったあなたの姉妹として言いたい。私はあなたであり、あなたは私です。私たちは女性の身体だけで見なされる存在であり、あなたの苦痛は私の苦痛です。あなたがまた力を出して日常に戻ることを望んだけれど、そうできなかったのはあなたのせいではないことを知っています」。

 「(韓国)国産アダルトビデオ」と呼ばれ、ウェブハード産業を支えてきた数多くの被害撮影物が、「デジタル性犯罪」あるいは「サイバー性暴力」と改めて命名され、警察の取り締まりが強化されたが、主催者たちは国家的な対策がさらに強化されなければならないと主張した。彼らは特に、放送通信利用者の保護を担当する放送通信委員会が取り組まなければならないと求めた。主催側は追悼祭で「違法撮影物流通根絶のための私たちの要求案」を通じ、放通委へ▽2008~2018年のウェブハードの管理・監督資料の公開▽ウェブハードカルテル問題の解決に向けた具体的な計画樹立▽オンライン性暴力に対する長期的なビジョン樹立および別機構の設置を求めた。主催側は「イ・ヒョソン放通委委員長との面談を要請し、要求案とともにオンライン追悼ページ(govcraft.org/campaigns/149)に集まった市民の意見を伝える」と述べた。

キム・ヒョシル記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

以下はサイバー性暴力被害を受けた友人を亡くしたAさんの追悼発言の全文。

彼女は2017年8月1X日の明け方に死にました。私は、彼女がウェブハードで自分の動画を発見してから自殺するまでの3カ月間、彼女に会ったほぼ唯一の人間です。そして、あの日の明け方に、もう無理という連絡を受けて、警察と一緒に彼女の部屋のドアを開けて入った人間です。救急車の中で彼女の携帯で両親を呼び、彼女が息を引き取った瞬間に病院にいた人でもあります。しかし、私は彼女の葬式には行きませんでした。告白すると、私はいまだにちゃんと追悼して哀悼したことがありません。葬式にも行かなかったのですから。私はこの場で、彼女の死について端的に話すつもりはありません。彼女の死は私にとって、まだ心の整理ができていない事であり、その事について落ち着いて説明し、その意味を問うことはできないからです。

私は警察でも、法曹人でも、関連業界の従事者でもなく、ただデジタル性暴力問題に多少関心が強いだけの一般人です。実は彼女と特に親しい友人でもありませんでした。彼女は警察、法曹人、関連業界の従事者に助けを求めることができず、親しくもない私にやっと連絡してきたのです。彼女が知っていた世界には、それほどデジタル性暴力被害を理解し、助けてくれる人がいなかったのです。彼女はどうしてそんな世界に生きなければならなかったのですか。

私も彼女の葬儀場に行って、悲しく泣いて追悼したかったです。今でもしたいです。しかし、私は警察でも、法曹人でも、専門家でもないただの一般人です。その前の3カ月間、彼女のそばにいてあげて支持し、補助者になってあげるだけで、私の日常は十分に壊れていました。私は、彼女が死んだ日の朝に出勤し、翌日、その翌日も出勤しなければならない一般人でした。自分は力を尽くしたのに何が足りなかったのだろうとも思ったし、いや、じつは私が足りなかったのではないということはわかっているのに、じゃあ結局私はどうすればよかったのか、わかりませんでした。過呼吸を起こして何度も倒れたりしながら、まずそのことから距離を置くことに決めました。あの悲劇のために仕事をやめることはできませんから。個人単位では耐えられず、個人の日常が壊れるような暴力を(防ぐことを)、なぜ法と行政が担ってくれなかったのですか。

最後に、彼女がどのように死んだのかを話そうと思います。彼女は初めて助けを求めた時を除いては、自分の部屋に入れてくれませんでした。誰かが自分に気づくのではないかと心配で震えながらも、あえて外で会おうと言いました。彼女が死んだ日の朝になってその訳を知りました。それはその部屋が、彼女がどのように死んでいっていたのかを表していたからでした。3カ月前に見た部屋とはかなり違っていました。窓には、割ったあとにテープで貼り、それをまた割って、またその上にテープを貼った跡が数え切れないほどありました。机、椅子、ベッド、ノートパソコン、壁など、部屋の中のすべてのものが、壊した後にテープを貼る作業を繰り返した跡がありました。彼女は毎日毎日死のうとし、生きてみようとし、また死のうとし、また生きようとするのを繰り返していました。それで私は、彼女が2017年8月1X日に死んだわけではないと思っています。彼女はその年の5月から始まり、じわじわと殺され、その日に最後の息が途絶えただけです。

生きたかった彼女を毎日毎日殺した一つひとつを覚えています。「おいしそう」「あんなXXを着るようなやつは雑巾だ」「自分が見た国産トップ10に入る」「Xの肉付きがいい」「いやだね」「垂らしてる」「あの話をしているのを見るにどこどこの学校の子だ」「その学校に通ってるから探してみなきゃ」。他にも数千個ありますが、全部覚えています。どうして彼らは、こんなコメントをつけることができたのでしょうか。誰の庇護があったから可能だったんですか。どうして彼女を殺し、私の日常を破壊するのも傍観していたんですか。

今日、この場はデジタル性暴力被害者たちの追悼祭だと知ってきました。どうせいつも数えきれないほど起こる事、いつも起こっている事をいまさら、と思う人たちに、彼女の名前を言いたいです。私は今日XX(名前)に、今まであなたの死からある程度逃げていたことを謝りたい。それで心からXXの冥福を祈りたいです。そして、そうするためにあなたを死に追いやったやつらが罪の償いをするよう、いま以上に闘うことを約束します。故人のご冥福をお祈りします。

今月30日に開かれた「名前のない追悼祭」の様子//ハンギョレ新聞社
https://www.hani.co.kr/arti/society/women/880609.html韓国語原文入力:2019-01-30 21:55
訳M.C

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