中国、広州の中山大学交換留学生のソル・ドンジュンさん(慶煕大言論情報学科・23)とナム・ダヒさん(慶煕大中国語学科・22)は先月19日、広州から1400キロメートル離れた南京を訪れた。ここにある「利済港慰安所陣列館」に韓国語と中国語で作られたパンフレット300部を寄贈するためだ。利済港慰安所は、日本軍が第2次世界大戦の時にアジア各地に建てた慰安所の中で最大規模だ。完全な姿で残されていたが放置され、2003年に北朝鮮のパク・ヨンシムさん(2006年に死亡)が慰安所であることを確認し注目を浴びた。中国当局が2015年に補修して資料館にし「利済港慰安所陣列館」として開館した。ソルさんと最近10回余りEメールで会った。
ソルさんは今年初め、冬休みに一人で中国旅行をした。上海で訪ねた尹奉吉(ユン・ボンギル)記念館や大韓民国臨時政府記念館は、比較的忠実な韓国語情報を提供していた。旅行の最後に南京大虐殺記念館と利済港慰安所陣列館を訪れた。両館は近所にあって自然に比較された。南京大虐殺記念館は規模が大きいのみならず、主要モットーである「許すものの、忘れてはならない」のように、歴史的考証に心血を注いで本当に忘れまいと努めている感じだった。一方、韓国から連れていかれた慰安婦だけで150人以上になる利済港慰安所陣列館は、中国語や英語の案内板やパンフレットに比べて、韓国語の説明があまりに簡略でもどかしかった。韓国語のパンフレットはなく、1ページの韓国語の印刷物はあったが内容も短く、陣列館がいつできたのか程度の説明しかなかった。この時、ソルさんは「慰安所はもちろん、韓国と中国の歴史が重なる多くの場所に韓国をより色濃く刻む必要がある」と決心した。学生なのですべての所を調べることはできないが、まず象徴的な数カ所でも韓国語の案内板とパンフレットを正確にすることを決心したと言う。
中国に関心を持つようになったのは、軍服務時期に遡る。外国語高校で英語-中国語科を出たが「入試の勉強に血眼になった結果」中国語の勉強は最初からあきらめたという。ところが大学1年を終えて2015年に入隊したが、彼が服務した部隊には資格証褒賞制度があった。休暇を得るために細切れの時間を利用して資格証試験に没頭した。このようにして中国語能力試験のHSK5級を取った。中国語の勉強をしながら、作家である趙廷来(チョ・ジョンネ)氏の『ジャングル万里』のような本を読んで、韓国をきちんと知らせることが重要だと漠然と思っていたが、今年はじめの旅行で具体化した計画を立てた。予算は慶煕大が運営する「慶煕夢挑戦奨学」プログラムに選ばれて支援を受けた。
韓国・中国語のパンフレット300部作り
最近「利済港慰安所陣列館」に寄贈
「アジア最大の日本軍慰安所」資料館
南京大虐殺記念館に比べて案内不良
「韓中の歴史が重なる現場で韓国を知らせよう」
「黄埔軍官学校記念館」の案内文も製作中
後からこのプロジェクトに合流したナム・ダヒさんは、幼い時に中国で暮らし中国語に堪能だった。パンフレットの製作と陣列館担当者とのコミュニケーションで大きな役割を果たした。「最初は韓国語のパンフレットだけを寄贈するつもりだったが、陣列館側から中国語版も気に入ったと言われて韓国語版も中国語版も寄贈した。私たちが作ったパンフレットは、韓国人観光客を念頭に置いた。写真を多く追加し、どんな遺物があるのかも親切に説明した。既存の印刷物では誤って書かれていた語法を正し、複雑な文章はわかりやすく直した。
陣列館側の反応が印象深い。趣旨に賛同してくれたことはもちろん、「南京に慰安所陣列館があるということが韓国でもっと多く知られて、関心が集まればうれしい」と言われた(ナム・ダヒ)。ナムさんは「陣列館には、中国人慰安婦被害者だけでなく、この場所を確認したパク・ヨンシムさん、米国議会の聴聞会に出席し証言したイ・ヨンスさん、そして東南アジアの多くの国から来た被害者の写真と文が残っていて、部屋の元の様子も再現されている」と話した。
次の目標は、広州の黄埔軍官学校記念館に韓国語の案内板とパンフレットを寄贈することだという。「孫文が建てた黄埔軍官学校は、金元鳳(キム・ウォンボン)義烈団長ら数百人の抗日運動家が教育を受けたところだが、内部には英語と中国語の案内板しかない。韓国語パンフレットもない。広州の大韓民国臨時政府庁舎の建物は現在住民の居住地として使われているという。広州の韓国総領事館側に臨時政府遺跡案内板を立てる仕事を手伝いたいという意見を送り、返事を待っているところだ」(ソル・ドンジュン)