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チョン・ウンチャン総理“新たな成功神話 基礎を作る”

原文入力:2009-09-29午後10:22:13
総理就任初日 奔走
“世宗市修正案 できるだけはやく”…4大河川には‘防御膜’
国会では“先憂後楽の姿勢で陰になったところに手厚く”

チェ・ヘジョン記者,イ・ジョングン記者

←チョン・ウンチャン総理(前列右側3番目)が29日午前、ソウル,鍾路区,都染洞,政府中央庁舎別館で開かれた第40代国務総理就任式で就任辞をするために席から立ち周囲の長官たちに挨拶をしている。 イ・ジョングン記者root2@hani.co.kr

チョン・ウンチャン新任国務総理が29日就任し公式活動に入った。就任式の第一声は「襟を正して昨日の自身を冷徹に振り返り崖っぷちから一歩さらに踏み出す」という話だった。各部署長官と総理室職員など500人余りが参加した席だった。聴聞会過程で明らかになった道徳性論議を念頭に置いた話と解釈される。

チョン総理は就任辞で‘成功神話’を強調し‘逆境を克服し今日を作った私たちの時代の成功モデル’とイ・ミョンバク大統領を称賛した。彼は「アパート坪数と子供の席次を人生の目標にする‘閉じられた社会’から脱皮し、多様な価値が共存する多元化された社会に変えなければならない」として新たな成功神話が書かれる土台を用意すると強調した。

‘中道実用,親庶民’強調も漏らさなかった。チョン総理は「小さな声を大きく聞いて低いところに手当てする」として「社会的に恩恵を受けた分野は競争を促進し、相対的に疎外された地域や庶民層には機会を拡大し、調和と均衡を実現しなければならない」と話した。

以後の日程はソウル,銅雀洞の国立ソウル顕忠園参拝,記者懇談会,放送会社アンカー面談,本会議出席など忙しく続いた。彼は顕忠園芳名録に「国と国民のためにこん身の働きをし奉仕する」と書いた。愛国志士の墓地に安置されたスコフィールド博士(*)の墓地も訪れた。チョン総理は暮らしむきが苦しかった青少年時期にスコフィールド博士に会い学業を続けることができた。

初めての記者懇談会で彼はイ・ミョンバク政府と志を同じくしているという点を強調した。先に彼は「過去、大運河事業には反対したが川に対する基本アイディアは否定し難い」として肯定的意見を述べた。本人が触発した世宗市修正論議に対しても繰り返し‘所信’を強調し曲げなかった。特に政府第2庁舎が位置する果川市と国際的な商業都市を標ぼうした仁川,松島を具体的に取り上げて「どんな都市を作るのかは細心で幅広く考慮しなければならない」と明らかにした。‘行政中心複合都市’という世宗市の再検討の可能性も表わした形である野党圏との関係改善に障害物として作用する可能性が高い。

道徳性論議に対しては腰を低くした。彼は「幼いころから良識と良心に従って生きようと努力したが、聴聞会過程で裸にされ自己恥辱感を感じた」として「今後、世の中から認められなくとも黙々と仕事をする」と話した。

イ大統領も「結局政治は結果で語ること」としてチョン総理を‘激励’した。 イ大統領はチョン総理就任式に先立ち、大統領府で任命状を授ける席で「純粋な気持ちで熱心に仕事をすれば国民に真正性が伝わる」としてこのように話したとイ・ドングァン大統領府広報首席が伝えた。チョン総理は「熱心に輔弼する」として「もっと徹底的に自己管理をするべきだったが心配をかけた」と頭を下げた。

チョン総理はこの日午後、国会議長面談を終えた後、本会議場挨拶の言葉を通じて「先憂後楽の姿勢で暗く陰になったところから先に手当てする」と念を押した。だが彼が挨拶の言葉をする間、民主党と自由先進党議席はガランと空いていた。彼の前途が容易でないことを予告しているようだ。 チェ・ヘジョン記者idun@hani.co.kr

スコフィールド博士(*):(訳者注)イギリス生まれのカナダ人フランク・ウィリアム・スコフィールド(1889~1970)博士。1919年4月15日、有田俊夫日本陸軍中尉が率いる日本の軍警たちが堤岩里で起こした住民虐殺事件を「水原での残虐行為に関する報告書」で世界に伝えた。韓国名は石虎弼。


原文: https://www.hani.co.kr/arti/politics/politics_general/379365.html 訳J.S