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[インタビュー]「日帝植民地支配が後世に与えた影響まで幅広く見せます」

登録:2018-08-24 10:07 修正:2018-08-24 12:36
民族問題研究所 キム・スンウン資料室長
民族問題研究所のキム・スンウン資料室長//ハンギョレ新聞社

 キム・スンウン室長は、3年前フランス国家記録院が「ナチス賦役者」をテーマに展示会を開いた事実を思い出し、韓国も植民主義の清算はこれからだという考えを持たなければならないと話した。「フランス国家機関がなぜフランス版親日賦役派の展示会を開いたのか。現実政治で必要だからそうしたのです。当時、フランスの若者たちがナチに類似した政党に大勢加入したんです。ファシズムを警戒したのでしょう」と付け加えた。「徳成女子大学史学科で勉強しながら『国家はみな歴史を歪曲する』ことを学びました。その時、国家が記録しなかった話を私が記録しようと考えました」

 国恥日(日本に国権を奪われた1910年8月29日)である今月29日、ソウル龍山区(ヨンサング)青坡洞(チョンパドン)に植民地歴史博物館がオープンする。建設準備委員会発足から11年。民族問題研究所(以下、民問研)が昨年12月に越してきた5階建てビルの1~2階、140坪あまりの空間に設けられる。開館日には日帝強制動員被害者遺族たちが歓迎プラカードを持ち、独立運動家の子孫など出席者を迎える予定だ。午後3時30分の開館式に先立ち、近くの孝昌公園の独立烈士墓地を訪ねる行事もある。最初の企画展は、10月に開かれる「反民族行為特別調査委員会70年特別展」だ。博物館の学芸室長を兼ねるキム・スンウン民問研資料室長と21日、民問研事務所で会った。

 「当初2010年に開く予定でしたが8年も遅れてしまいました。李明博(イ・ミョンバク)、朴槿恵(パク・クネ)政府の時に起こった歴史歪曲のせいが大きいです」。説明を詳しく聞いた。「李明博大統領時代、ニューライト陣営は親日賦役を美化する代案教科書を出し、朴槿恵政府は国定歴史教科書を推し進めました。公営放送KBSも親日賦役・独裁を美化するドキュメンタリーを流しました。それらと闘うのに忙しく、開館に力を入れられませんでした」

開館を控えた植民地歴史博物館の展示館内部=民族問題研究所提供//ハンギョレ新聞社

 民問研は昨年、博物館が入る建物を51億ウォンで購入した。内装費用などまで合わせると56億ウォン(約5億6千万円)だ。建物の購入は、市民からの後援金15億ウォンと「親日人名辞典」販売基金11億ウォンが大きな力になった。融資も22億ウォンを受けた。「真実和解のための過去事整理委員長を務めたソン・ギイン神父が2億ウォンを出してくれました。10万ウォン以上寄付した方が4800人もなります。最近はヤン・ボギョン誠信女子大学総長とハン・サングォン徳成女子大学総長代行夫婦が2千万ウォンを送ってくれました」。3年前に結成された日本の市民団体「植民地の歴史博物館と日本をつなぐ会」も1億300万ウォンを集めた。

 キム室長は博物館の開館の意味をこのように指摘した。「親日人名辞典(2009年)が清算できていない歴史を記録し、韓国社会に正義と常識を立てる運動だったとすれば、博物館はこのように記録された歴史を教育・伝承し、これを通じて世界と疏通する場になるでしょう」

 博物館の名前に「植民地」を入れたのも一つの挑戦だったという。「植民地の代わりに日帝強制占領期や日帝侵奪史とも言えました。しかし、植民地という言葉によってその時代をもっと深く理解できます。(博物館は)なぜ植民地時代を考えなければならないのかに焦点を当てています」。展示の構成で、彼女の言わんとすることが理解できる。2階に入る常設展示場は全部で4部だ。1部は「日帝侵略と植民地支配」であり、2部は「日本の侵略戦争と強制動員」、3部は「同じ時代の異なる人生、親日と抗日」、4部は「過去に打ち勝つ力、いま何をすべきか」だ。「3部では友堂(李会栄)、石洲(李相龍)など亡命独立運動家一族と、代表親日派である尹氏一族を対比させます。新興武官学校出身の独立軍たちと、独立軍の摘発に乗り出した日本陸軍士官学校出身の将校たちも一緒に見せます。4部は反民族特別調査委員会の挫折に続いた親日派の帰還と遅延された歴史の正義を、共感と連帯の力で克服してきたことを示します」。35年の植民地の跡が後世に及ぼした影響まで幅広く見せるというわけだ。

「植民地歴史博物館」29日の国恥日に開館  
保守政権の歴史歪曲と闘い8年遅れ  
市民の寄付金と融資などで建物を購入  
ソン・ギイン神父が2億・日本の市民も力を添え 
学芸室長を務め、10月に「反民特委特別展」

 日本の市民団体の募金には800人余りが参加した。「日本の後援者の人々が真っ先に言った言葉は『私たちが先につくるべきだったのに』でした。『韓国政府でもなく市民が自発的にやっているのに、じっとしてはいられない』といって参加してくれました」。日本にはこのような博物館があるだろうか。「全世界で平和博物館がもっとも多いのが日本です。小さな市民団体や個人がつくった空間が多いです」。しかし、国や地方自治体が運営する公共博物館の中には、植民地支配を批判的に省察するところは見当たらないという。「大阪人権博物館が日本社会の朝鮮人差別問題に関心を持って展示をしたが、極右性向の知事が来て性格が変質しました。京都の立命館大学の国際平和博物館も戦争反対と平和を目指すが、自国の戦争犯罪を浮き彫りにはしていません」

開館を控えた植民地歴史博物館の展示館内部=民族問題研究所提供//ハンギョレ新聞社

 注目する展示品を一つ選んでほしいと言うと、キム室長は純宗が国権を渡すと発表した勅諭をあげた。「国権を自分が信じて頼る隣国の日本皇帝陛下に渡すという内容です。石版印刷された原本です。どこでも見ることのできない資料です。朝鮮第1代総督の寺内正毅が赴任し、施政方針を明らかにした文もあります。それを見ると、当時日本が朝鮮人協力者の養成をどれほど重要に考えたかを知ることができます。教科書で機械的に習った植民地支配の実像が生々しく伝わってきます」

 展示資料の収集は7年前から行なってきたという。「昨年2月、博物館の建物を契約したという知らせが広まり、日本からたくさんの資料が入ってきました。日本植民地時代に朝鮮で暮らしていた日本人が70万人います。今も当時朝鮮や満州で発行された本を持っている方が多いです。1932年に尹奉吉(ユン・ボンギル)義士が処刑された時に出た日本の地域新聞も寄贈されました」。神社の資料は、当博物館がおそらく世界で最も多いという話もした。「70年代から天皇制反対運動をしてきた日本人(辻子実氏)が、これまで集めた神社の資料を2009年から寄贈しています。靖国神社で出した資料はほとんどあります。日本植民地時代の朝鮮の神社の資料も、はがきを含めてたくさんあります」

開館を控えた植民地歴史博物館の展示館内部=民族問題研究所提供//ハンギョレ新聞社

 キム室長は2005年から民問研で働いている。「高麗大学大学院博士課程で勉強したときに先輩の勧めで合流しました」。1990年に徳成女子大学史学科に入ったのは、日本の歴史歪曲に対する怒りが大きかったためという。今後の計画を聞くと「1970年代から始まった日帝強制動員被害者の法廷闘争を一つ一つ記録したい」と語った。

文・写真 カン・ソンマン先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/858966.html韓国語原文入力:2018-08-23 20:01
訳M.C

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