20日午後1時50分頃、朴鍾哲(パク・ジョンチョル)烈士の父親で、釜山市水営区(スヨング)南川洞(ナムチョンドン)のある療養病院に入院しているパク・ジョンギ氏(90)が、目をつぶって横たわっていた。窓際にはムン・ムイル検察総長が送った「全快を祈ります」と書かれた花瓶が見えた。朴烈士の兄のジョンブ氏(60)と姉のウンスク氏(55)が見守っていた。
この日午後2時2分、ムン・ムイル検察総長が病室に入ってきた。ムン総長はパク・ジョンギ氏に「お手数をおかけして申し訳ない。あまりに遅く伺って謝罪を申し上げることになり、恐縮に思う」と話した。横になっていたパク氏は「もう起きてしまったことだ」と、やっと口を開いた。ムン総長は「長い間、本当に苦労された。ちゃんと整えてしっかりした国になるよう努力する。お一人で苦労されたのを助けてさしあげられず、申し訳ない。次にまた訪ねて成果を申し上げる」と、パク氏の手を握って謝罪した。1987年1月、朴鍾哲氏が警察の水拷問で死亡してから31年が経った。検察総長が過去事と関連して被害者に直接公式謝罪するのは初めてだ。
ウンスク氏は「父が昨年2月、脊椎骨折で手術を受けた後に入院した。2月初めにムン総長とユン・ソギョル・ソウル中央地検長が非公式に訪問した。その時、父が『遠いところから来てくれてありがとう。今日より昨日の方が良かったのに』と話した。もっと早く来たら良かったという意味だ」と語った。ジョンブさんも「真実・和解のための過去事整理委員会の勧告事項を検察が受け入れたものと理解する」と話した。真実和解委は2009年、検察も朴鍾哲氏の拷問致死に対する縮小・隠蔽・捏造に深く関与したと指摘し、検察と国家が遺族と国民に謝罪することを勧告した。
朴鍾哲記念事業会のキム・セギュン会長は「時遅しの感があるが、政府を代表して検察総長が訪ねて公式謝罪し、新たな約束をしたことに感謝する。この公式謝罪が、検察が換骨奪胎する契機となり過去の行動に対して徹底的に反省して、国民のための正義の宝剣として生まれ変わることを願う」と話した。
約20分間お見舞いをしたムン総長は、1階の記者懇談会の席で「87年の(民主化闘争の)時代精神を覚えている。その始発点であり中心に朴鍾哲烈士がいた。検察も覚悟を改めるためにこの場に来た。今は民主主義をどんな方式で運営し、どんな過程を経て成熟した市民民主主義を完成させ、国民と子孫に引き継がせるかが私たちの課題だ。過去の過ちを繰り返さず、私たちに与えられた時代の使命を尽くす」と誓った。
ムン総長は「このように訪ねた直接的なきっかけは、映画『1987』に関するパク・ジョンブ氏のインタビュー記事だった。真実和解委の報告書には検察が行うべき具体的処置があった。検察がおろそかにしたと思い、パク・ジョンブ氏に面会を求めた。快く受け入れてくれ、勇気を出して(先月初めにパク・ジョンギ氏の入院している病院を)訪問した。あまりにも遅くなったと思う。あらためて申し訳なく恐縮に思う」と話した。