日本で暮らしていた日本軍「慰安婦」被害者として、唯一人日本政府を相手に謝罪と賠償を請求する訴訟をした宋神道(ソン・シンド)さんが亡くなった。韓国政府に登録された日本軍「慰安婦」被害生存者は32人しか残っていない。
宋神道さんは16日午後、東京都内で老衰のために亡くなったと「在日の慰安婦裁判を支える会」が19日明らかにした。11日に95歳の誕生日を祝った5日後だった。
ソン・シンドさんは、1922年忠清南道で生まれ、16歳だった1938年にだまされて中国の武昌(現在の湖北省武漢)の慰安所「世界館」に連れて行かれ、慰安婦生活を強要された。少しでも拒否すれば、決まって殴打された。わき腹と太股に残った刃物の傷痕、腕に彫られた金子という名前の入れ墨は、苦痛の過去をそのままに見せる。何度も妊娠した末に2人の子どもを産んだが、育てることはできない境遇で人知れず中国人の手に任せなければならなかった。
7年間、多くの慰安所に連れ回され日本の敗戦をむかえたが、行く所はない状況で、「結婚して日本に行こう」という日本の軍人の話にだまされて日本に行った。1946年春、船で博多港に到着するとすぐに軍人は彼女を捨て、彼女は在日韓国人の男性に会い1982年まで一緒に暮らした。
こうしたソン・シンドさんの存在を世に知らせたのは、日本の良心的市民たちだった。1992年、慰安婦動員に日本軍が関与したことを立証する政府文書が発見された。これに対し日本の4つの市民団体は、慰安婦関連情報を集めるために「慰安婦110番」というホットラインを開設した。この時、匿名の情報提供で宮城県に住む宋さんがついに名乗り出た。その後、市民団体は「在日の慰安婦裁判を支える会」を結成し、宋さんとともに日本政府の公式謝罪を要求する裁判闘争に乗り出した。
安海龍(アン・ヘリョン)監督が作ったドキュメンタリー映画「オレの心は負けてない―在日朝鮮人『慰安婦』宋神道のたたかい」(2007)は、在日日本軍慰安婦として唯一人、日本政府を相手に訴訟を闘った宋神道さんの人生と裁判過程を扱った。
「オレの心は負けてない」というこの映画のタイトルは、10年に及ぶ長い法廷闘争で日本の最高裁まで持ち込んだが、結局裁判には負けてしまった宋神道さんが「それでも心は負けてない」と話したことから借りてきた。映画は、宋神道さんがなぜこの闘いで決して負けられない人なのかに焦点を合わせている。
日本の敗戦後、日本に行くことになった宋さんは、1993年4月「慰安婦」強制動員などについて東京地方裁判所に訴訟を提起し法廷闘争を始めた。2003年3月、日本の最高裁判所が上告を棄却して敗訴が確定したが、10年にわたる裁判過程を記録したドキュメンタリー映画「オレの心は負けてない」が2007年に公開され、大きな反響を起こした。この映画で「二度と戦争をしてはならない」という宋さんの呼び掛けは深い共感を得て、映画は現在も日本など各地で上映されている。
宋さんの葬儀は、「在日の慰安婦裁判を支える会」が非公開で行ったと明らかにした。