「朴正煕(パク・チョンヒ)大統領誕生100周年記念式」が開かれた14日、慶尚北道亀尾市(クミシ)上毛洞(サンモドン)の朴正煕元大統領の生家の周辺はひと騒動が起こった。太極旗と米国の星条旗を持った極右団体会員約100人が記念式に押し寄せ、「朴槿恵(パク・クネ)釈放」と「文在寅(ムン・ジェイン)打倒」を叫んだ。市民社会団体の会員約40人は、生家の周辺で記者会見を開き、「朴正煕大統領歴史資料館」の建設中止を要求した。
亀尾地域参与連帯、キリスト教青年連合、民主労総、全教組、真の教育保護者会、子ども図書研究会などはこの日午前10時、朴元大統領の生家の周辺で記者会見を開き、歴史資料館の設立中止を要求した。彼らは「朴正煕を経済発展の主役だと称賛している一部の朴正煕追従者たちが亀尾にいるということを、われわれは認める。だが、亀尾にはすでに朴正煕を記念して追悼する空間は多い。にもかかわらず、亀尾市は朴正煕の遺物を展示する資料館まで建てると言う。全国的に実施する無償給食は無視したまま、地域の土豪勢力の主張だけで莫大な税金を無駄づかいする行為が今日も繰り広げられている」と批判した。
実際、亀尾には朴元大統領を記念して追悼する施設が多い。朴元大統領の生家、追悼館、銅像、春窮期体験場、朴元大統領の登校路などが作られている。にもかかわらず、亀尾市は「朴正煕大統領民族中興舘」(58億ウォン)や「セマウル運動テーマ公園」(870億ウォン)などを作り、「朴正煕大統領の生家周辺の公園化事業」(286億ウォン)まで行った。亀尾市は「朴正煕大統領の生家保存会」にお金を支援し、毎年朴元大統領「追悼祭」(10月26日)と「生誕祭」(11月14日)を開いている。ここにまた、200億ウォン(約20億円)をかけて歴史資料館も作る計画だ。
極右団体会員らは、市民社会団体の会員らに悪口を浴びせながら飛びかかった。「偉大な朴正煕大統領閣下誕生100周年なのにあんな奴らが押し寄せて」、「お前らは北朝鮮に消え失せろ」、「以北(北朝鮮)に行け」、「民主労総が積弊だ」、「敬虔な気持ちで追悼に来たのにアカ(共産主義者)の一団が来て狼藉をはたらいている」、いたるところでこのような叫び声と罵声が沸き起こった。市民社会団体の会員たちは「朴正煕を記念したければ国民の税金を使わず、あなたたちが直接お金出してやれ」と対抗した。この日は警察が5個中隊400人以上を投入し、大きな物理的衝突は起きなかった。
午前9時30分に始まった記念式は崇慕祭礼、歴史資料館の起工式、式典公演、記念式を経て、昼12時に終わった。ナム・ユジン亀尾市長とキム・グァニョン慶尚北道知事、ペク・スンジュ議員(亀尾市甲)、チャン・ソクチュン議員(亀尾市乙)、イ・チョルウ議員(金泉市)など1000人余りが出席した。文在寅(ムン・ジェイン)大統領と李洛淵(イ・ナギョン)首相、キム・ブギョム行政安全部長官は記念式には来ず、代わりに花輪だけを送った。記念式の途中、一部の参加者らは「文在寅打倒」を一緒に叫んだ。「セヌリ党大邱市党」は記念式が開かれた特設舞台の横にテントを張り、朴元大統領無罪釈放を要求する署名運動を展開した。
ナム・ユジン亀尾市長は記念のあいさつで「私は今回の生誕祭が東・西が一つになり進歩・保守が一つになる契機になることを願う。もう朴正煕大統領は放して差し上げよう。しかし忘れないでいよう。あの方の評価は遠い未来の歴史家に任せ、われわれは前に進もう」と話した。ナム市長は先月4日、亀尾の朴元大統領銅像を訪れ、「左派たちとの理念戦争の最前線に出る」と宣言している。
記念式がすべて終わっても極右団体の会員たちは家に帰らなかった。代わりに朴元大統領の生家の周辺とその前の道路を回りながら「朴槿恵大統領を釈放せよ」、「文在寅を打倒しよう」と叫んだ。朴元大統領の生家の周辺は午後2時を過ぎてようやく静かになった。亀尾市はこの日午後、報道資料を出して「朴正煕大統領誕生100周年記念式が、5000人以上が出席したなか盛大に開催された」とした。