李明博(イ・ミョンバク)政府の大統領府が、2008年の米国産牛肉輸入反対ろうそく集会で危機に直面するや、国軍機務司令部にサイバー検索結果の報告と「コメント工作」を指示したことが確認された。機務司令部はこの指示によって日々のサイバー検索結果を大統領府に報告し、2009年にはサイバー分析課を新設し、体系的なコメント工作を行ういわゆる「スパルタ」活動に乗り出したことが明らかになった。米国産牛肉ろうそく集会の対応がコメント工作の出発点だったということだ。
国会法制司法委員会のチョン・ソンホ共に民主党議員は、機務司令部の「コメント工作」活動に対する機務司令部の自主検証チームの調査内容を閲覧し、30日に主な内容をハンギョレに公開した。機務司令部所属の法務官、サイバー専門家などで構成された自主検証チームは、先月中旬から2週間、当時の勤務者とデータベースを調査した。
■2008年、大統領府の指示で「コメント工作」開始
2008年の李明博政府発足直後、米国産牛肉輸入反対ろうそくデモで打撃を受けた大統領府は、ろうそくデモの渦中だった6月24日、大統領府に広報企画官室と国民疎通秘書官室を新設した。新設された大統領府機関は7月18日、機務司令部に「国政の運営に関連するサイバー検索結果の周期的報告」を要求した。これに対して機務司令部は8月7日、当時のイ・サンヒ国防部長官の承認を経て、いわゆる「反政府左翼勢力」の活動と国防・安保の主な問題などが盛り込まれた「日々サイバー検索結果」を大統領府に報告した。大統領府の広報企画官室と国民疎通秘書官室が機務司令部を動員して、インターネット世論の動向把握や工作を主導したわけだ。
■2009年から「スパルタ」構成など“活動”本格化
本格的な“活動”に向けて2009年、機務司令部は「サイバー分析課」を新設した。「検索係」(公開情報の収集)、「分析係」(対応策の分析)、「対応係」(拡散・コメントなどの活動指揮)で構成されたサイバー分析課は主に中佐・大尉で構成された300人あまりの隷下部隊員を「対応活動要員」として採用し、指定した資料を拡散したりコメント工作を遂行した。いわゆる「スパルタ」活動だ。スパルタは組織名称ではなく、300人あまりで構成された要員らの活動を激励するため、「対応係」が活動指示メールを送る時「スパルタ要員の皆さん...」というふうに活動を指示して付いた名前と伝えられた。彼らは、2009年2月の龍山(ヨンサン)惨事における警察支持のコメント活動▽2009年の北朝鮮による光明星発射(4月)、核実験(5月)などと関連した北朝鮮脅威の伝播▽2010年の天安艦沈没事故と関連した米軍潜水艦衝突説などへの対応▽2010年11月の延坪島(ヨンピョンド)砲撃関連コメント▽2010年11月のG20広報活動▽2012年3月の核安保首脳会議の広報活動などを繰り広げた。
2010年1月に国軍サイバー司令部が創設され、機務司令部の「コメント工作」業務は移管され、スパルタ組織は縮小された。検索係と分析係は解体され、対応係4人だけが「サイバー安全課」に編入され活動した。縮小された機務司令部のコメント部隊は、同年12月「サイバー諜報分析課」に再拡大されたが、2011年9月にキ・グァンソ朝鮮大学政治外交学科教授のハッキング事件で機務司令部要員4人が拘束され、活動が萎縮した。2012年3月、核安保首脳会議以降に大統領府報告ラインが断絶され、2013年末の組織再編時に正式に解体された。
■残った課題
機務司令部の自主検証チームは、今回の調査の限界から削除された文書については調査できず、公式記録物のみを確認したと自ら認めた。自主検証チームは2012年3月以降、大統領府報告ラインが断絶され、2012年大統領選挙に機務司令部の介入はなかったと判断した。だが、実際に機務司令部の「コメント活動」が中断されたのか、2012年の総選挙(4月)と大統領選挙(12月)の時に「選挙介入」はなかったのかは、追加調査が必要な部分だ。チョン・ソンホ議員は「李明博大統領府の指示で機務司令部がコメント工作に取り組んだ事実が判明したため、機務司令部の活動が政治・選挙に介入したのかを明らかにしなければならない。今回の調査が機務司令部の自主調査であるという点で限界が明らかなだけに、今後は国防部と軍検察が残った疑惑について徹底的に調査しなければならない」と話した。