クァク・へスク氏が3年前に亡くなった夫の写真を見せた。写真の中で故人のチェ・インギ氏(当時60歳)は多くの管をつなげたまま集中治療室にいた。長いため息をついたクァクさんは、とうとう涙を流した。「私が写真を撮りました。このような状態の人が人間ですか。人間ではなかった。結局、国が殺したんです」
チェ・インギ氏は中距離バスの運転手だった。大動脈瘤の診断を受けた後、2005年、2008年に2回、心臓周りの血管を人工血管に交換する大手術を受けた。大動脈瘤は血管が膨らんで破裂し急死することもある重症疾患だ。チェ氏は労働能力のない基礎生活受給者に選定され、生活費と病院費を支援された。
しかし2013年、労働能力の評価を実施する国民年金管理公団はチェ氏に「労働能力あり」と判定を下した。同年10月にチェ氏は、盆唐ソウル大病院で1~4段階に分かれた労働能力評価で3~4段階に当たるという診断を受けたが、国民年金管理公団は再びチェ氏の状態を最も良好な健康状態の1段階と評価した。チェ氏が住んでいた水原市(スウォンシ)は、このような公団の判断を受け入れた。
条件付きの受給者は職を得るなどリハビリに必要な条件を履行しない場合は、生計給与の一部または全部を受け取ることができない。チェ氏は2014年6月、あるマンションの環境美化員(清掃員)に就職してから3カ月で、地下駐車場で倒れた。結局、2カ月に死亡した。
チェ氏が亡くなってから3周忌となる28日、遺族のクァク・ヘスク氏と民主社会のための弁護士会(民弁)公益人権弁論センターなどは、国民年金管理公団と水原市を相手に提訴した。彼らは30日、ソウル瑞草洞(ソチョドン)の民弁事務室で記者会見を開き、「チェ氏の死は非現実的な労働能力評価が生んだ結果」だと主張した。民弁は、社会福祉受給者の死亡に関して国家責任を問う初の訴訟だと明らかにした。
彼らはチェ氏の死を受けて「韓国版『わたしは、ダニエル・ブレイク』」と表現した。ケン・ローチ監督の映画『わたしは、ダニエル・ブレイク』で主人公は、チェ氏のように福祉受給の条件に合わせるために仕事を求めて転々としなければならず、うまく行かずに公共機関で再審を受ける最中に死亡した。