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[ニュース分析] セウォル号の期間制教師「殉職認定」問題が残したもの

登録:2017-07-03 22:23 修正:2017-07-03 23:57
生徒教える 「期間制教師」、一体私たちは何なのでしょう

「期間制教師は公務員でない」
政府、3年間殉職認定せず
公務員年金法施行令は改正したが
他の期間制教師には適用されず

学校で必要な教師の数だけの
発令がなければ期間制で埋め合わせ
全国の教師10人中1人は期間制
給与・福祉・業務環境の差別多い

「教師の日」の5月15日午後、安山教育支援庁別館に設けられた「記憶教室」の2年3組キム・チョウォン先生の教壇に花とプレゼントが置かれている。この日文在寅大統領はセウォル号惨事で犠牲になった期間制教師に対して殉職認定処理を指示した=安山/キム・ミョンジン記者//ハンギョレ新聞社

 セウォル号惨事当時、生徒たちを救助して死亡した檀園高のキム・チョウォン、イ・ジヘ先生が「殉職公務員」と認められる道が辛うじて開かれた。期間制教師という理由で殉職を認めなかった前政府の措置は、正規職と期間制を分けて死さえ差別する韓国社会の惨い現実を見せつけた。殉職認定に至るまでの論争過程と、今後韓国社会が解決しなければならない課題を考えてみた。

 セウォル号惨事当時、生徒たちを救助して死亡した檀園高のキム・チョウォン、イ・ジヘ先生が「殉職公務員」と認められる道が開かれた。

 首相室傘下の人事革新処は先月27日、セウォル号惨事で犠牲になった期間制教師を公務員年金法の適用対象者に含める内容の「公務員年金法施行令」改正案が国務会議で議決されたと明らかにした。これに先立ち文在寅(ムン・ジェイン)大統領は「教師の日」を迎えてこの二人の教師に対する殉職認定を指示したが、その後続措置だった。新しい大統領の指示があるまで、政府は3年余りの間「期間制教師」であるという理由だけで二人の教師の犠牲を「殉職」と見なそうとしなかった。 金城鉄壁のような政府を相手に、遺族は最後の手段である行政訴訟を提起した状態だった。

 安山檀園高でキム・チョウォン、イ・ジヘ先生と一緒に勤務していたキム・ドギョン先生(39)は、二人の教師に対する殉職要求の先頭に立って来た。特殊クラス(障害のある生徒たちに統合教育をするために高校以下の学校に設置されたクラス)の生徒たちを教える彼も、やはり期間制教師だ。二人の先生が犠牲になってから1年が経っても殉職公務員と認められないでいるのを見て、2015年5月、インターネットカフェ「セウォル号惨事犠牲教師の同僚署名運動本部」を作って同僚教職員たちと一緒にオン・オフラインで署名運動をした。5月11日、ソウル行政裁判所の法廷で「二人の教師が檀園高で担当した業務は正規職教師と異ならない」ことを証言しもした。

 先月28日、ソウル舍堂洞(サダンドン)でキム先生に会ってその間の所感を尋ねた。「二人の先生が殉職認定を受けられることになって、すまない思いを少しは減らすことができた。しかし一方では虚しかった。こんなふうに (殉職認定が)可能なものを、どうしてあんなにも拒否してきたのか…」

安山檀園高でキム・チョウォン、イ・ジヘ先生とともに勤務した期間制教師キム・ドギョン氏は二人の先生に対する殉職要求の先頭に立ってきた。セウォル号惨事を通して正規職教師とまったく同じ仕事をしながらも異なる待遇を受ける残忍な現実を改めて実感した//ハンギョレ新聞社

もしかしたら私だったかもしれない

 2014年4月16日午前、キム・ドギョン教師は特殊クラスの生徒たちと飛行機で済州(チェジュ)に行き、修学旅行に合流する予定だった。障害のある生徒たちが長時間船に乗ることは無理だったからだ。彼の携帯電話には今でも同僚教師たちと修学旅行について論議したカカオトークの画面が残っている。午前9時11分の「船が傾いている」というメッセージが最後だった。檀園高教師14人のうち11人が陸に戻って来ることができなかった。セウォル号沈沒当時、脱出しやすい5階にいた2年3組担任のキム・チョウォン先生は、生徒たちを非常口まで連れて行って脱出させた後、また浸水中の船の中に戻って救助活動をした。同じ階にいた2年7組担任のイ・ジヘ先生も同じだった。彼女は船に異常な兆しが現れるや、下の階に下りていって不安がる生徒たちを安心させ救命胴衣を着せて脱出を助けた。

 2014年6月、死亡事実を確認した教師の遺族たちは公務員年金公団に遺族給与及び遺族補償金を請求する。しかしキム・チョウォン、イ・ジヘ先生の遺族が出した請求書だけは戻ってきた。期間制教師は「公務員」ではないという理由からだった。二人の先生を除いた残りの教師らは、生命と身体の危険を冒して公務を遂行して死亡した「殉職公務員」(危険職務殉職)と認められた。期間制教師だけ殉職認定を受けることができないのは不当だという指摘が続くと、2015年6月、京畿道教育監は二人の期間制教師の遺族に代わって公務員年金制度を統括する人事革新処に殉職遺族給与を請求した。人事革新処は「期間制教師は民間勤労者であって公務員ではない」と回答した。

 政府の立場が変わらないのを見て、2016年6月、キム・チョウォン先生の遺族は公務員年金公団を相手に遺族給与及び遺族補償金請求書下げ戻し処分取り消し訴訟を提起する。訴訟過程で公務員年金公団は「実績と資格によって採用され、その身分が保障されて一生公務員として勤めることが予定されている場合に公務員年金法が適用されるのだが、期間制教師は臨時職にすぎない。原告の主張が受け入れられれば期間制教師全体の地位変動を来たし、公務員年金制も法的安定性が大きく毀損される恐れがある」と主張した。期間制教師は教育公務員法に基いて採用される。主務部署である教育部が期間制教師を教育公務員法上の公務員と解釈すれば公務員年金法適用対象になるが、教育部はこのような立場を表明しなかった。

私たちは一体だれなのか

 キム・ドギョン先生は悔しかった。「期間制教師として生徒たちを教えながら、公務員ではないとしても一般的な会社員ではないと考えた。なのに、君たちは“契約職勤労者”だから労災補償保険法適用(業務上災害で死亡)を受けるのだと言う。私たちは一体何なのか?」

 休職・研修・派遣などで正規職教師の席が空いたり、特定教科を一時的に担当する必要がある時、教師資格証を持った人の中で期間制教師を採用することはできる。しかしキム・ドギョン先生の場合は、夜間大学院で特殊教育学を専攻していた2009年から檀園高で期間制教師として勤務した。特殊クラスに必要な正規職教師数は常に足りなかった。その空席はキム先生を始めとする期間制教師が補った。

 国公立の幼稚園、初・中・高の教師は国家公務員で、行政自治部と教育部の協議で定員が決まる。各学校は教育部長官と教育監が決めた指針に従い、必要な教師定員を決めるのだが、この数だけの教師発令を受けられない場合が多い。政府が生徒数の減少と予算問題から、教師数をやたらに増やすことはできないという立場だからだ。

 教師未発令のため採用する契約職教師を別名「定員外期間制教師」と言う。 京畿道の場合7~8年前から定員外期間制教師の採用が著しく現れている。教育部が人口が増えている地域に教師定員を十分に割り当てることができないでいる中で、教育庁レベルで教師不足問題をこうした方式で解消したわけだ。キム・チョウォン、イ・ジヘ先生もやはり定員外期間制教師だった。檀園高が2014年度に必要とした教師数は80人だったが、京畿道教育庁が発令した数は67人だった。学校では足りない数を満たすために既に勤めていたイ・ジヘ先生など9人を再採用した。ここにさらに4人が必要なため期間制教師採用公告を出し、キム・チョウォン先生などを採用する。キム・チョウォン、イ・ジヘ先生は各々科学・国語を担当していたが、他の正規教師と同様に行政業務を担当し担任も持った。キム先生は「担任は忌避業務だ。教頭先生が担任業務を申請しない先生を個別に面談する。説得できなければ期間制教師に担任をさせた」と説明した。

 殉職公務員になる道が開かれて、キム・チョウォン先生の遺族が行政訴訟を維持する理由は消えた。しかし「期間制教師は公務員ではない」と言っていた人事革新処の既存の立場が変わったわけではない。公務員年金法施行令第2条第4項「その外に、国家または地方自治体の正規公務員以外の職員で人事革新処長が認める者」の項目にセウォル号惨事犠牲者を含めることにより、二人の教師が殉職公務員になる根拠条項を設けた。二人だけ例外的に公務員年金法上の「公務員」になったのだ。したがって、また別の期間制教師が職務遂行中に犠牲になった場合「殉職公務員」と認定されない可能性は依然として残っている。

 今年4月、国家人権委員会は「セウォル号惨事当時死亡した期間制教師は教育公務員法上の教育公務員なので、公務員年金法上の殉職公務員と認めるべきだ」と明らかにした。人権委はまた「1998年のIMF(アジア通貨危機)以降、国家に雇用されて“公務”を遂行する非公務員の規模は次第に大きくなっている」として「殉職認定は公務を遂行する中で命を失ったのかどうかを中心に判断すべきなのに、実務的に“公務員”認定の如何によって決まっている。同じ業務を遂行し同一の状況で死亡した事案について、公務員と非公務員に異なる待遇をするのは差別に相当する素地がある」と付け加えた。

 文在寅大統領は5月、公務を遂行中に死亡した公職者の場合、正規職・非正規職等の身分を問わず殉職処理する方案を検討するよう指示した。

2015年9月9日午前、セウォル号惨事で犠牲になった檀園高のキム・チョウォン、イ・ジヘ先生の父と仏教市民団体会員、解雇労働者などがセウォル号期間制教師殉職認定を要求して曹渓宗大雄殿前から五体投地を始め、政府ソウル庁舎に向かっている=キム・ソングァン記者//ハンギョレ新聞社

同一の仕事、別の待遇

 キム・ドギョン先生は初めて教壇に立った頃、期間制教師に対する差別は当然なことと思った。正規職教師は苦労して採用試験に合格したのだから、それだけの待遇をするのが正しいと思った。しかしセウォル号惨事を経験する中で、まったく同じ仕事をしながらも別の待遇を受けなければならない残忍な現実を改めて実感した。期間制教師差別問題について、勇気を出して話せるようになるきっかけとなった。「他の教師が皆加入している団体保険に期間制教師だけ加入していなかった。2014年以前も修学旅行に行ったけれど、ただの一度も保険に加入していなかった」。

 京畿道教育庁は疾病・傷害死亡保険など団体保険加入とその他の健康管理・自己啓発・余暇活動などを一定額内で支援するオーダーメード型福祉制度を運用している。セウォル号惨事当時までも、期間制教師はオーダーメード型福祉制度の対象から排除されていた。修学旅行を控えても、期間制教師に対しては団体保険や旅行者保険加入を認めなかった。キム・チョウォン、イ・ジヘ先生の遺族は、他の教師たちの遺族に支給された死亡保険金を受取ることができなかった。

 キム先生は惨事当時檀園高在職中だった教職員が身体的・精神的被害を治癒するために休職を申請することができるセウォル号特別法に基づいて、仕事を休んでいる。期間制教師である彼が休職するまでにも紆余曲折があった。「京畿道教育庁は“休職”を申請した場合、直ちに契約満了になると言った。 法律専門家に法解釈の助言を求め学校長と論議した末に休職が受け入れられた」。惨事当時檀園高に在職していた教師の9割ほどは他の学校に移るか、あるいは教壇を去った。 彼は檀園高でずっと仕事をしたいと言った。「セウォル号惨事から自由になることができないから…。当時の状況を記憶し、惨事に関連する行政業務を処理する人が一人くらいはいなければならないでしょう?」

 また戻っていく学校が、以前とは異なる姿になっていたらいいと考える。「生徒たちが自由である学校に変わったらいいと思う。安全に関してずいぶん強調するけれど、公文によって施行する安全教育ではなく、ある日突然避難訓練をするといった実質的な安全教育が必要だ。学校は“差別”を教える所ではないので皆が平等な共同体になってほしい」。 インタビューが終わる頃、キム先生はかばんに入れて来た何枚かの文書を記者に渡した。期間制教師が不当な待遇を受けているとして全国期間制教師連合会に訴えた内容だった。

 「学内セクハラ・性暴行事件が起きて被害生徒を助けようとしたが、期間制教師が出しゃばるんじゃないと言われ、口外しないという念書を強要され、採用に不利にしてやると言われた」、「はるかに多くの仕事をし皆が忌避する仕事を引き受けても、正規職教師よりずっと低い成果給額を受け取る度に、ひどい恥辱感を覚える」、「経歴が17年にもなった。休みの期間に月給を払わないでいいように1学期ずつに割って契約したのも何年にもなる。無期契約職でもなりたいと思う」、「学校側が生徒や父兄に期間制教師であることを強調して、不信感を誘導する」、「期間制教師は発言権がないと言う。投票権がなく意見提案もできない」

 2016年8月発刊された教育基本統計によれば、全国の幼稚園・初・中・高校教師は49万1152人である。このうち期間制教師は4万6666人で、全教師の9.5%に達する。

パク・ヒョンジョン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)

韓国語原文入力: 2017-07-01 09:38

https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/801022.html?_fr=mt2  訳A.K 

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