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ソウル市、南村を北村のような名所に育てる

登録:2017-06-07 23:21 修正:2017-06-08 07:22
中区会賢洞に文化探訪歩行路を造成 
宗廟~南山まで途切れた緑地軸を完成 
歴史的価値のある住宅には修理・新築費用支援
「南村再生プラン」候補地に選ばれた中区会賢洞一帯の鳥瞰図=ソウル市提供//ハンギョレ新聞社

 ソウルの清渓川(チョンゲチョン)の南側から南山(ナムサン)の北側山裾まで、中区(チュング)会賢洞(フェヒョンドン)一帯が昔の道と名所を保存した「南村(ナムチョン)」として蘇る。

 7日、ソウル市は2018年までに158億ウォン(約15億円)を投じて昔の南村、現在の会賢洞一帯50万5736平方メートルを、北村(プクチョン)や西村(ソチョン)のような名所にする「南村再生プラン」を発表した。南村再生事業は大きく分けて、歴史・文化遺産を発掘し、ソウル路7017に続く南山古道を広げる一方、既存の住宅を直せるよう支援するという3点に要約される。

 市が南村再生拠点に選んだのは計5カ所で、朝鮮中宗の時に領議政を務めた鄭光弼(チョン・クァンピル)邸跡である会賢洞ウリ銀行前のイチョウ広場、キム・ホンド画伯の師匠である豹庵(ピョアム)姜世晃(カン・セファン)邸跡、韓国式家屋と日本式家屋が残る南村路地、ソウルの未来遺産に指定された会賢第2市民アパート、小波(ソパ)道と三豊アパートの間の小さな公園だ。市は2018年までにこれらの文化遺産を結ぶ南山古道3路線とソウル路7017から素月(ソウォル)路につながる2つの道路を歩行者道路にして南村を歩行中心地域として整える計画だ。

 南村は、ソウル市が推進してきたソウル駅北部再開発事業や宗廟(チョンミョ)から南山につながる緑地軸復元事業でも最後の地点だ。世運(セウン)商店街・会賢高架・清渓高架は1970年代の都市開発の中でも都心の景観を大きく傷つけ、四大門内の南北の流れを断絶させた代表的な建築物と言われてきた。ソウル市は今月1日には世運商店街群の7個の建物を長さ1キロメートルの空中歩行橋でむすび、2019年までに宗廟~南山公園に至る歩行路を造ると発表した。南村再生が終われば、宗廟から始まる緑地軸と南村古道は南山の山裾で出会うことになる。

 また、市は韓国式家屋の保存を支援した北村をモデルとして、優秀な建築資産に値する住宅には修繕費用を支援し、再生事業区域内の老朽化した住宅を改良・新築する時は0.7%の金利での融資を支援する予定だ。

 しかし、南村再生プランは市が公共財である道路と文化遺産に投資して、住民が自ら町内を育てるよう誘導する都市再生事業であるため、住民の同意・参加が成否を左右する最も重要な要素になると見られる。市は今までに100回以上の住民ワークショップと説明会を開き、住民と共に計画を樹立してきた点を強調した。しかし、南村再生プランで芸術家住居空間にしようとしている会賢市民アパートに居住する350世帯余りのうち70世帯余りがまだ移住していない。

 ソウル市のチン・ヒソン都市再生本部長は「会賢市民アパートの住民たちのうち、住み続けることを希望する人がいるならば、彼らを含めてマスタープランを作る」とし「今回の事業で南山の高度制限にひっかかり、開発から取り残された町内が良くなることで、会賢洞の豊富な歴史的資源が知られ、地域に対する自負心も高まるだろう」と自信を見せた。

 朝鮮時代に小論・実学派の有識者の住居地としてカウンターカルチャーの本拠地であった南村は、日帝強制支配時期には朝鮮総督府・憲兵司令部・日本公使館などが密集した植民統治の中心地だった所だが、最近は開発が遅滞して古い建築物と道が残っている。

ナム・ウンジュ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/area/797841.html 韓国語原文入力:2017-06-07 17:41
訳J.S(1655字)

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