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[キム・ジソク コラム]イ・ミョンバク政府, 南北関係から解決を

原文入力:2009-08-04午後09:34:42
キム・ジソク記者

←キム・ジソク論説委員室長

ビル・クリントン前米国大統領が北韓を訪問中だ。4ケ月半以上にわたり北韓に抑留された米国人女性記者問題を解決することが表向きの任務だが、1994年北韓-米国ジュネーブ合意を引き出すのに核心役割を果たしたジミー・カーター前米国大統領の北韓訪問を連想させる。バラク・オバマ政府スタート以後、対立を続けてきた米国と北韓がついに本格的な対話局面に入ろうとする様子だ。

米国は先月から‘包括的パッケージ’を巡って関連国らと議論を継続している。韓半島非核化と北韓-米国および北韓-日本関係正常化,韓半島・東北アジア平和体制構築,対北経済・エネルギー支援など解決しなければならないすべての懸案をテーブル上にのせて一度に妥結するためだ。その上、米国と中国は‘21世紀国際秩序主導’という大きな主題について戦略対話を強化している。今回のクリントンの北韓訪問を契機に交渉が再開されるなら核問題の根本的解決努力と共に韓半島・東北アジアの新しい安保枠組みが作られる状況が到来する可能性が大きい。

今のような大きな転換期が過去に2度あった。80年代後半から90年代初期の冷戦終息と60年代末から70年代初期の米-中デタントがそれだ。当時我が国政権は周辺国との関係を再設定し、南北関係を進展させることでこれに対応した。その結果、70年代初期の各種南北接触と7・4共同声明発表,91年南北基本合意書発効を頂点とする南北関係進展がなされた。だがこういう成果は残念なことに寿命が長くなかった。

その理由は当時の政権らが北韓否認論を克服できなかったところに求められる。公式に掲げた平和統一論とは異なり、北韓政権は不法であり、まもなく崩れるかもしれないという考えが支配的だったために対話の動力がぜい弱だったのだ。平和統一論が実践的基盤を持った名実共に統一論になったのは6・15共同宣言以後だが、こういう流れもイ・ミョンバク政府のスタート以後に切れた。昨秋、金正日国防委員長の健康異常説が飛び交った後は、北韓体制の崩壊に備えなければならないという北韓崩壊論が盛んになった。北韓否認論の復活だ。

北韓否認論は戦略ではなく敵対的情緒に過ぎない。したがってこれに基づいては統一政策はもちろん、どんな実効性のある対北政策もたてることはできない。これに執着するほど南北関係はさらに悪くなり韓半島関連懸案での私たちの発言権はさらに弱くなる。韓半島を巡る国際情勢が急速に変わる時はより一層そうだ。

政府が今の状況に対応しようとするなら、2点を国内外に明確にしなければならない。一つは北韓崩壊論に執着せず現実的な対北政策を追求することだ。他の一つは核交渉局面を操り上げ我が国の発言権を高めようとする努力だ。日本と手を握り米国の対北圧迫に期待するという今までの方式を継続していては立つ場所がますます狭くなる。

この課題の核心に位置するのが南北関係だ。すでに遅きに失した感はあるが、最大限速やかに南北関係転換を通じて対北政策を本来の軌道に上げ核交渉を後押ししなければならない。この間、悪化の一途を辿ってきた南北関係を転換させようとするならイ・ミョンバク大統領が直接出るべきだ。イ大統領が直接10・4首脳宣言と6・15宣言に対する尊重と履行意志をはっきりすることが必須だ。これを通じて一定の信頼が構築されれば北側に抑留された開城工業団地職員,金剛山および開城観光再開,離散家族対面,交流・協力強化,人道的支援などの問題は一度に解決することができる。まもなく訪れる8・15祝辞が良い機会であることは言うまでもない。南北関係と韓半島非核化努力がお互いを強化する好循環構造を作り出す時はまさに今だ。

キム・ジソク論説委員室長jkim@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/369553.html 訳J.S