1979年10月16日午前10時、釜山市金井区の釜山大で500人余りの学生が朴正煕(パク・チョンヒ)維新体制反対デモを行った。これに同調してデモ隊に参加した学生だけで約7000人に達した。 学生らは「維新政権退陣」のスローガンを叫び街頭に出た。警察はデモに合流した学生を強制鎮圧し、数百人を連行した。
翌日の10月17日、デモはさらに激しくなった。 デモ隊には学生だけでなく市民たちも参加した。 朴正煕維新政権は10月18日、釜山に戒厳令を発動しデモ隊の動きを阻んだ。
釜山で始まった民主化運動は、10月18日には慶尚南道の馬山(マサン)に広がった。馬山の市民と学生は「維新撤廃独裁打倒」を叫び街頭デモに出た。これがいわゆる「釜馬(ブマ)民主抗争」だ。
朴正煕維新政権は10月20日、馬山に衛戍令を発動し、軍部隊を投じてデモ隊を無慈悲に鎮圧した。 この過程で3人(非公式集計)が亡くなり、釜山で1058人、馬山で505人の計1563人が連行され、87人が軍法会議に付され20人が実刑を宣告された。
朴正煕維新政権は釜馬民主抗争が起きた10日後の10月26日に崩壊した。釜馬民主抗争は朴正煕維新政権の終焉を呼ぶ契機になった。
釜山地域で起こった釜馬民主抗争を視覚的、立体的に整理した抗争地図と日誌が初めて公開される。
釜馬民主抗争記念事業会は16日、釜山中区瀛州(ヨンジュ)洞の民主公園で、釜馬民主抗争地図と日誌を発表する学術大会を開く。釜山民主抗争記念事業会傘下の研究団体である民主主義社会研究所が釜馬民主抗争関連記録と資料を分析し、地図と日誌を作った。
釜馬民主抗争地図と日誌には、当時のデモ隊の移動経路と時間、場所などが順に整理されている。また、官公庁の一部と当時の戒厳令布告文など構造物や印刷物を再現し釜馬民主抗争当時の状況を再現した。 釜山民主抗争記念事業会は16~31日、民主公園企画展示室で釜馬民主抗争地図と日誌を展示する。
釜山民主抗争記念事業会関係者は「市民に釜馬民主抗争の歴史的真実と意味を伝えるために企画した。 多くの学生や市民に観覧してほしい」と話した。