「障害者を取り巻く環境によって、障害者の社会参加が変わります。 障害は社会的問題なのです」
韓国初の視覚障害者弁護士となったキム・ジェワン氏(37)の話には、彼の人生がそのままあらわれていた。 2日午後、ソウル麻浦区孔徳洞のソウル西部地裁で裁判官と裁判所の公務員100人余りを対象に「障害の多様性と障害者司法支援」という主題の講演を聴いたキム弁護士は「障害は損傷ではなく周辺環境との相互作用」と強調した。
「障害者の社会参加は環境が決定
音声型コンピュータの提供はできないといわれ
薬学部編入をあきらめなければならなかった
障害ごとに相応しいサービスが必要」
公益弁護士として障害者の人権活動
来月まで全国の裁判所を巡って講演
生まれつき右目が見えなかったキム弁護士は、一般学校に通って大学院(生物学)にまで進学したが、卒業する頃に左目も見えなくなり始めた。 「生物学は目が必要な学問なのに、これから何をすればよいのか」と考えた彼は薬学部への編入をあきらめた。視野が狭くなり速く読むことができなくなり、編入に必要な英語の点数が足りなかったためだ。
その後、キム弁護士は障害者登録をし、3級判定を受けた。 疑問が生じた。 「私の不便の程度に合わせたサービスが提供されるべきなのに、現実は私の“損傷”の程度に応じて一律的にサービスが提供されました。 活動補助者が必要な私が3級だという理由で申請対象から排除されたようにです」。対人忌避症や不眠症などに陥ることもあった。 視覚障害者福祉館でコンサルティングを受けリハビリ教育を受けた彼は、2005年から4年間国家人権委員会で専門相談員として仕事をすることになった。 昼には相談員として働き、夜には社会福祉大学院で勉強を始めた。 「弁護士になれば人権委での経験と社会福祉大学院で学んだことを活用できると考えた」という彼は、社会経済的弱者特別選考でソウル大法学専門大学院に1期生として進学した。
しかし法曹人としての第一歩を踏み出すことは容易でなかった。 点字を習いたてで法学適性試験で提供される点字問題用紙を速く読むことはできなかったし、目が見えないために拡大問題用紙も無用の長物だった。 彼は音声型コンピュータを要請した。 司法試験では前例があったため受け入れられた。
キム弁護士は「私は変わっていない。私を取り巻く環境が私が弁護士になれるか否かを決めた」と話した。「法学適性試験で音声型コンピュータが提供されなかったら、薬学部編入の時のように英語の点数を資格要件に定めていたら、私は今弁護士として皆さんの前で講義できなかったでしょう」。薬学部進学を放棄した時は「障害のためにできない」と思ったが、本当は「環境のためにできないのだ」という“思考の大転換”があったのだ。 彼は志を同じくする弁護士8人と共に公益・人権弁護士の集いである「希望を作る法」を作った。 それから“思考の大転換”を実践していった。 大学修学能力試験を受ける視覚障害生たちの差別救済訴訟に乗り出し、昨年から視覚障害生たちは音声で問題を読み上げるプログラムを通じて試験を受けられるようになった。 知的障害児童が両親と一緒に遊具に乗せないとしている遊園地を相手に訴訟を行い、損害賠償を勝ち取りもした。 障害者に対する視角矯正のためのキム弁護士の講演は来月まで全国11の裁判所で行われる。