登録 : 2015.10.27 01:00 修正 : 2015.10.27 06:54

銃器事故で死亡したオ・ドンギル二等兵 
「自殺」発表に家族は「事故死」を主張 
法律を勉強しながら情報公開訴訟 
「最初の関門は通過…真実究明の見通しは暗い」

母親の前に立ちはだかる軍事機密 //ハンギョレ新聞社
オ・ドンギル二等兵 資料写真//ハンギョレ新聞社

 「1カ月後に入隊百日の休暇がでれば麗水(ヨス)エキスポにも行って、おいしいものも食べて、友達にも会うと言っていた子供が、自殺をしたなんて信じられますか?」

 軍当局との長い情報公開訴訟で勝った母親のソンさん(49)の声は暗かった。軍当局が息子の死を捜査した記録のコピーを渡したとはいえ、これを根拠に真実を明らかにしていく旅程は一層苦しいものになりそうだからだ。

 2012年5月23日夜。 息子が銃器事故で亡くなったという電話を受けてソンさんは愕然とした。 ソンさんの息子オ・ドンギル二等兵(写真、当時21歳)は、2011年に全北大生物環境化学科に入学した。 1学年を終えた2012年1月、陸軍に入隊した。 2カ月後に1師団に配属され京畿道坡州(パジュ)の鉄条網警戒所で勤めた。 その年の5月、オ二等兵は警戒所で自分のK-2小銃から発射された曳光弾3発が顎から頭を貫通している状態で発見された。 原因はわからなかった。 一緒に勤めていた先任兵はうとうとしていると銃声が聞こえ、倒れていたオ二等兵を発見した。 軍はその年の9月、「他殺や銃器誤射の可能性はないため自殺と推定される」という調査結果を発表し事件を終結させた。 彼が死亡する前日、デジタル軍人手帳に「私はちょっと勘違いしていたようだ。ほとんど病的に小心な人でも問題なく軍隊に来る」と書いていた点を自殺の根拠として挙げた。

 ソンさんは軍の調査結果を信じられなかった。亡くなるわずか1カ月前、大隊長から表彰状と共に3泊4日の褒賞休暇をもらった息子だった。 ソンさんは「息子は事故で死亡したことが明らかだ。だが、軍では息子を国家有功者にしないために自殺と決めつけた」と話した。

 ソンさんは死因を自ら調べてみることを決意した。 2013年12月、1師団に数千ページに及ぶ捜査・審議記録と解剖検査写真、監視カメラ映像資料の情報公開を請求した。 だが、1師団は昨年3月「軍事機密と密接な関係があったり個人情報が含まれている」とし「1師団法務部で閲覧、視聴する方式でのみ公開する」と決定した。 中央行政審判委員会にも情報公開を要求する行政審判を請求したが、昨年9月、委員会は軍を支持した。ついにソンさんは、コピーを提出を求める訴訟を起こした。

 弁護士を選任したが、期待には至らなかった。ソンさんと家族は、法律の勉強をしながら「本人訴訟」を行い、9カ月に及ぶ長い審理の末、裁判所は結局ソンさんの主張を受け入れた。 ソウル行政裁判所行政2部(裁判長パク・ヨンウク)は、ソンさんが陸軍第1歩兵師団長を相手に出した情報公開訴訟で「1師団はソンさんにオ二等兵死亡事件捜査記録などのコピー・複製本を交付せよ」と判決したと26日明らかにした。 裁判所は「該当情報のうち、軍事機密に該当する情報は含まれていないと見られる」として、部隊の兵力状況などが含まれる一部の資料を除いてコピー・複製物交付請求を拒否した軍の処分を取り消すよう判決した。 ソンさんは「ようやく最初の関門を通過しただけで、今後この膨大な資料から真実を捜し出すのは容易ではない」とし「もし軍が控訴すれば再び何年も待たなければならないが、国家のために奉仕して死んだ息子を持つ母親に、国家がしてはならないことだと考える」と話した。

キム・ジフン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2015-10-26 20:16
http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/714543.html 訳J.S(1643字)

  • 오피니언

multimedia

  • most viewed articles
    • hotissue