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韓国歴史博物館で朴正熙維新独裁を美化

登録:2015-09-02 10:45 修正:2015-09-05 21:15
外国人観覧客が1日午後、ソウル鍾路区の大韓民国歴史博物館で再開場した第3展示室で「重化学工業化と維新体制」関連の展示を観ている=キム・ソングァン記者//ハンギョレ新聞社

昨年12月に第3展示室に設置
「維新体制なければ経済成長はなかった」
ユ・インテ議員「歴史わい曲を中断すべき」
博物館「長期政権だった点も指摘」

 大韓民国歴史博物館が重化学工業発展と維新体制を結びつける展示室を設け、独裁的維新体制によって重化学工業の発展が可能になったという論理を観覧者などに露骨に伝えていることが明らかになり、問題になっている。韓国史の国定教科書採択の試みなど、朴槿恵(パク・クネ)政権になり加速している“歴史改造”の試みが随所で進行していると批判されている。

 ユ・インテ新政治民主連合議員は1日、「大韓民国歴史博物館が昨年12月の改編過程で、第3展示室に『重化学工業化と維新体制』というブースを新たに設け、観覧客に『朴正熙(パク・チョンヒ)元大統領が重化学工業中心に産業構造を変更させるため維新を宣言した』と説明している」と明らかにした。ユ議員は「朴元大統領が長期政権の基礎を作るため宣言した維新体制を、重化学工業政策を全面的に推進するための手段だったかのように合理化している」と指摘し、「私たちの社会の所々で維新を美化し歴史を歪曲する試みは中断されねばならない」と付け加えた。

 実際に29日に現場学習のため訪れた小学生15人に「維新体制がなかったなら今日の経済成長はもたらされなかった」という趣旨の説明がされたとユ・インテ議員室は伝えた。現場にいた当時のドーセント(解説員)は「朴正熙元大統領が導いた維新体制がなかったのなら、この短い期間内で多くの重化学工業と基幹産業は成功できなかった」として「維新体制は人権を蹂躪した側面がある反面、強力なリーダーシップによって今日の経済成功を成し遂げることができた」と生徒たちに説明した。

 1960~1987年の「大韓民国の成長と発展」を扱った第3展示室に設けられたこのブースには、「10月維新、100億ドル輸出、1000ドル国民所得」等のスローガンが書かれた10月維新の広報ポスターと、朴元大統領の1976年1月12日の「重化学工業化宣言」を扱った新聞資料などが展示されており、今年1月から現在まで、現場学習に来た小学生など1万3332人が訪れた。

 展示を企画したイ・ギョンスン学芸員はこの日、ハンギョレとの通話で「経済開発の部分を扱った第3展示室があまりに歴史性の欠けた描写がされていると指摘され、経済発展像と共に社会像を等しく扱うため維新体制に言及しなければならなかった」と説明し、「1人の長期政権のために国民の基本権と代議民主主義制度を傷つけたという面も共に指摘してあるし、5・18光州(クァンジュ)民主化運動や87年の民主化運動など、多様な社会像も等しく盛り込むよう努力しているので、維新体制美化との指摘は行き過ぎ」と語った。イ学芸員は29日の案内員の説明に関し、「個人の観点がある程度反映されるほかない部分はある」とした上で「博物館の公式立場とは異なる」と語った。

 しかしハンギョレが入手した大韓民国歴史博物館の2015年7月改訂版の展示解説原稿17ページには、「1960年代後半から既存の軽工業中心政策が経済成長の限界を示し、重化学工業中心に産業構造を変更させる必要性が高まりました。これに対し朴正熙大統領は1972年、10月維新を宣言して長期執権のための維新憲法を制定した直後、重化学工業政策を全面的に推進しました」となっている。歴史博物館が公式に用意した展示解説でも、重化学工業中心の産業構造変更のために維新体制を宣言したように描写されている。

 大韓民国歴史博物館は2008年、李明博(イ・ミョンバク)前大統領が光復節祝辞で現代史博物館を建てると公表し、建設が推進された。建国と経済成長に重点を置き、2012年末の開館当時から「産業化博物館」「朴正熙記念館」との批判が提起された。現在の国民統合市民運動常任委員でもあるキム・ワンシク元梨花女子大教授が館長を務めている。

イ・ジョンエ記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2015-09-01 22:19

https://www.hani.co.kr/arti/politics/politics_general/707029.html 訳Y.B

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