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[ルポ] “龍山惨事”から6年…“時計屋さん”は“警備員”になった

登録:2015-01-24 18:52 修正:2015-01-24 21:39
最後まで残った立ち退き住民23世帯の全数調査
龍山惨事6周忌を翌日に控えた19日午後、惨事の現場だった南一堂ビルと周辺の建物はすべて撤去され、空き地になっている。イ・ジョンヨン先任記者 //ハンギョレ新聞社

追い出された人たちの人生は“格下げ”されていた。

 時計屋・食堂・ビリヤード場・中華料理店・インターネットカフェ等を営み「社長さん」と呼ばれていた23人のうち10人は、小さな工場で単純労働をしたり、契約職の販売員、警備員、飲食店従業員や配達員になっていた。職場のない人も7人もいた。 健康が労働を許さない人も少なくなかった。6人は店舗を新たに開いたものの、生活は6年前より苦しくなった。 持ち家に住んでいた人は、貸家や公共賃貸住宅へと一段階または数段階下がった。 地上で暮らしていた人も、半地下へ下りていった。 家族と一緒に暮していた人たちの中には、ばらばらになって一人で生活している人もいた。

 2009年1月20日朝、ソウル龍山区漢江路(ヨンサング・ハンガンノ)2街の再開発事業に反対する住民たちを強制鎮圧する過程で、立ち退き住民5人と警官が1人死亡した。 龍山惨事6年目を迎え、ハンギョレは<龍山惨事真相究明委員会>の助けを得て、当時最後まで南一堂ビルに残っていた立ち退き住民23世帯の生活を、全数調査で追跡してみた。

■社長さんから契約社員に

自営業だった23人のうち10人は
飲食店の従業員や配達員などに
7人には職場すらない

 キム・ジェホ氏(59)は、龍山アイパークモールで警備員として働いている。 彼は1984年から龍山で時計店<真宝堂>を営む社長さんだった。 惨事の後、実刑判決を受けて刑務所暮らしをし、2012年10月26日に仮釈放で出てきた。 警備の仕事は昨年8月に始めた。「何も用事がなくても家長ですから、家で遊んでいるわけにはいかなかった」という。 <真宝堂>をやっていた頃は毎月の純益が300万ウォンにはなった。 今は月給120万~130万ウォンを受取っている。「年を取っているので、やれることも警備の仕事くらいだ」と話す。 一生を主婦として暮らしてきた妻は、彼が刑務所にいる間、生計のためにカラオケ店を始めた。

 コーヒーショップ<シャトゥレ>の主人だったパク・チャンスク氏(55)は昨年5月、京畿道南楊州(ナムヤンジュ)で、近くの工場の職員たちを相手にする食堂を開いた。惨事から1年後の2010年2月、ソウル冠岳区新林洞(クァナック・シルリムドン)に保証金1000万ウォン家賃50万ウォンの小さな衣料品店を開いたが、生まれて初めての仕事なので容易でなかったという。 お客は来なくて在庫だけが積まれていった。 結局、夜は食堂でサービングをするようになった。「たいした店じゃなかったけれど、それでもずうっと社長さんと言われてきたので、ひとの店で従業員として働いたら妙な気分がした」と話す。パク氏は1年後、衣料品店の場所に室内屋台を開いたが、それも閉めて結局南楊州にやってきた。

 1996年から中華料理店<共和春>を営んできたキム・テウォン氏(45)は、今は姉が経営するソウル大学路(テハンノ)のフライドチキン店でサービングや配達をしている。 コック長の給料を払っても月500万ウォンは稼げたという中華料理店の社長は、梨泰院(イテウォン)にある母親の家に居候している。 彼は龍山から立ち退きさせられる前に、鐘路(チョンノ)でも何の補償も受けられずにビルの持ち主に追い出された経験がある。「鐘路に続いて龍山まで、2度もそんな目に遭ったのでもう商売するのは怖い」と話した。

 龍山でビデオと本のレンタル店<本を読もうかビデオを見ようか>を営んでいたパク・ソニョン氏(46)は、今は炭酸飲料の販売員をしている。 一日に大型マート5カ所を回って製品を陳列し、営業している。 2010年7月に始めた仕事だ。 職場をもっている夫のおかげで生計に特に困難はないという。 パク氏は「収入は減ったけれども、むしろ気持ちは楽だ」と語った。

 ノ・ハンナ氏(58)は龍山で9年間<153ビリヤード場>を営んできた。 公務員だが腎臓が悪く透析を受けなければならない夫(休職中)と、息子(33)、娘(29)の生計を彼女が一手に引き受けていた。 297平方メートル大のビリヤード場は、マンションを担保に1億5000万ウォンの融資を受けて始めた。 権利金は1億ウォン以上払った。 保証金5000万ウォンに毎月の家賃200万ウォンを払う物件だった。 アルバイトを一人使っても日に30~40万ウォンずつ入ってくる現金に触れる楽しみがあった。 ノ氏は現在、月給120万ウォンで冠岳区新林洞(クァナック・シルリムドン)のある玩具工場で包装の仕事をしている。

 ノ氏はこの6年間、5つの職場を転々とした。 ソウル江南(カンナム)のサウナで売店の仕事を、そのあとは城北区彌阿洞(ソンブック・ミアドン)のある病院で患者に対する案内業務をした。 マルチ商法の化粧品も売った。 ビヤホールもやってみたが、借金が増えただけだった。 ノ氏は「息子が時々『ビリヤード場がそのままあったら本当によかったのに』と言う。あの頃は、私たちも中産層として楽に生きられるものと思っていた」と語る。

龍山惨事当時、ビリヤード場を営み32坪のマンションに住んでいたノ・ハンナ氏は、現在ソウル冠岳区青林洞(チョンニムドン)にある10坪余りの公共賃貸アパートで夫と子どもたちと一緒に暮らしている。 キム・ボンギュ記者 //ハンギョレ新聞社

■地上から地下に…離れ離れになった家族たち

持ち家に住んでいた人は貸家や公共賃貸住宅に
家族も散り散りになって

 ビリヤード場が撤去され、ノ氏家族の暮らしも“撤去”された。 京畿道高陽市一山(コヤンシ・イルサン)に106平方メートルのマンションを持っていたが、今は33平方メートルの冠岳区の公共賃貸アパート(二部屋)に住んでいる。“中産層”時代に子供のために申し込んで分譲を受けておいた賃貸アパートが、家族全員の家になった。大きな部屋を息子が、小さな部屋を自分と娘が使っている。 ノ氏は「龍山のために、私たちはまっさかさまに墜落した」と言った。

 <シャトゥレ>の主人だったパク氏は、6年前には新林洞で長男夫婦や孫と一緒に暮らしていた。 今は家族と離れて食堂のある南楊州(ナムヤンジュ)で独り暮らしをしている。

 龍山でビルの2フロアを使って<ニューモーテル>を営んでいたソン氏(75)には仕事も家もない。2人の息子の家を行ったり来たりしていたが、今は龍山にいる友人の家に住んでいる。 40代半ばの2人の息子は非正規職と無職だ。 15年間<ボギョン食堂>を運営してきたチェ氏(72)も同じだ。 食堂にくっついている家に住んでいた彼は、江東区上一洞(カンドング・サンイルトン)の甥の家に居候している。狭い賃貸アパートなので足を伸ばすこともためらわれる。

 ソン氏やチェ氏のように新しい仕事を始められなかった人たちは主に高齢者だ。 15年以上屋台をやっていたチョン氏(63)はその後家政婦の仕事をしていたが、4年前から足が痛くて休んでいる。 チョン氏は一人で家賃18万ウォンの賃貸アパート(49平方メートル)に住んでいる。 撤去前には76平方メートルの普通のマンションだった。

 <うどん屋台>をやっていたムン氏(64)は、惨事の後1年余り続いた交渉過程でひどく体をこわしたという。 ムン氏は「今は地階に住んでいるが、これでも事件が起こる前には地下で暮らしたことはない」と話した。 彼は龍山から追い出された後、道峰区双門洞(トボング・サンムンドン)に、双門洞からさらに付近の水踰洞(スユドン)に引っ越した。 “会社員の月給”くらいは一人で稼いでいたこの人々は、いまは老齢年金20万ウォン、独居老人手当40万ウォンが収入のすべてだ。

■「今からでも生計対策を…」

真相究明委「ソウル市が今からでも代案を」
ソウル市「再開発進行以外に方法なし」

 立ち退き住民たちは2010年1月、“飯場家”(工事場の食堂)の運営を約束されて龍山を離れた。 生活の基盤を譲る代わりに、生計対策として再開発工事期間に労働者たちが利用する食堂の運営権を得ることにしたのだ。 しかし、龍山第4区域の再開発事業は現在遅々として進まない状況だ。 2011年に再開発組合と施工会社間の追加分担金問題で契約解除になった。 現在は施工会社の再選定過程にあるが、凍りついた不動産市場のために進展しない。

 ソウル市の都市再生本部再生政策企画官都市活性化課は「遺族慰労金と補償金、民事・刑事訴訟の取り下げなど、合意当時に立ち退き住民たちに約束したことは大部分履行された。 ただ、工事がその後進まないために、食堂運営権の約束は履行されていない。 工事が始まらなければ解決されない問題」という。

 ソウル市は、整備事業が早く進められるよう支援する以外には方法がないと話した。 しかし、龍山惨事真相究明委員会のイ・ウォンホ事務局長は「施工会社の選定もなされていない状況なのだから、今からでもソウル市が代案を考えるべきだ」と指摘する。

 6人が死亡し24人が負傷する中で撤去された龍山第4区域は、6年が過ぎた今も、何もない空き地のままだ。

チェ・ウリ、パク・キヨン、イ・ジェウク記者

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「自治体と民間が一緒に開発効果予測システム作りを」

「大規模でなく建物単位で工事しなければ
立ち退き住民対策が困難」との指摘

 再開発事業の撤去過程で生活の基盤を失った人たちは、“経済的身分の格下げ”を避けられないのが普通だ。 生計対策を要求する立ち退き住民の要求が切迫したものにならざるを得ない理由だ。 現在撤去作業が進行中のソウル市鍾路区巡和洞(チョンノグ・スンファドン)と銅雀(トンジャク)区上道(サンド)4洞、釜山北区萬徳(マンドク)第5地区などでは撤去に抗する住民の籠城が続いている。

 ソウル市は3年前「ニュータウン出口戦略」を発表した。 この2日までで、683のニュータウン・再開発地域のうち、住民たちが“出口”を求めた190カ所の事業地域指定が解除された。 最近ソウル市は都市再生本部を新設した。 大規模な撤去を伴う大規模開発を減らしていくという趣旨だ。ソウル市立大のチョン・ソク都市工学科教授は「大規模な工事ではなく、個別建物単位の工事をすることによって、立ち退き住民の生計対策を含めた開発関連紛争を減らすことができる」と話した。

 米国には都市ごとに独立機関である再開発庁があって、再開発事業を監視・監督する。 開発事業の未来は誰にも保障できないので、費用と便益を綿密に分析し、立ち退き住民保護のための安全装置を作っているという。 開発経験のない住民による再開発組合が、施工会社の要求によって建設計画を随時変更する韓国とは状況が違う。 ソウル大学環境大学院環境計画学科のキム・ギョンミン教授は「地方自治体と民間が一緒に開発効果を予測するシステムを作らなければならないのだが、韓国の地方自治体の対応は専門的でも積極的でもない」と指摘した。

チェ・ウリ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/674347.html 韓国語原文入力:2015/01/20 08:58
訳A.K(4864字)

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