龍山惨事が発生して昨日でちょうど4年の歳月が流れた。 龍山惨事4周忌汎国民追慕委員会は昨日、京畿道(キョンギド)、南揚州市(ナムヤンジュシ)牡丹(モラン)公園犠牲者墓地を訪ね、亡くなった人々の霊を慰労する追慕祭を開いた。 去る19日にはソウル駅広場追慕大会に先立ち事件現場である南一堂跡を訪ね犠牲者を賛えた。
龍山惨事はソウル龍山区(ヨンサング)漢江路(ハンガンノ)の南一堂ビルで占拠籠城を行った撤去民を警察が鎮圧する過程で屋上望楼に火がついて籠城者5人と警察特攻隊員1人が亡くなった事件だ。 この事件で8人が拘束され、この内昨年2人が仮釈放されただけで6人はまだ獄苦を体験している。 真相究明と責任者処罰、拘束者の釈放および赦免、強制退去禁止法制定などの要求が続いているが、4年が過ぎてもなお傷は癒えない。
龍山惨事は李明博政府の開発中心政策と国家暴力が起こした大惨事であった。 2009年1月20日未明、南一堂ビル屋上に警察のコンテナが降りてきたのは撤去民が望楼に上がったすぐ翌日のことであったし、キム・ソクキ ソウル地方警察庁長官が警察庁長官に栄転した翌日だった。 グローバル金融危機以後、李明博政府がニュータウンなど各種開発事業を性急に推進し、手段と方法を選ばない借家人追い出しが横行した。
龍山惨事はまだその実体的真実が明らかになっていないという点で現在進行形だ。 司法手続きは終えられたが、検察起訴内容を巡り多くの疑問点が提起された。 外注暴力ガードマンが横行する暴力的な都心再生事業が今も続いているという点でも龍山は進行形だ。
政権が変わり新政府が樹立されれば自然に過去の政府時の古傷を治癒し解消する契機になる。 龍山惨事もやはり李明博政府の4年間に腐るだけ腐った傷の中の一つだ。 生存権を守るために望楼に上がり命まで失って、長い監獄生活をしなければならない惨劇が起きたので犠牲者とその家族の立場から見れば悲嘆に暮れて当然だ。 鎮圧過程で無念に亡くなった警察官の犠牲もまたあまりにも残念なことだ。
朴槿恵(パク・クネ)大統領当選人が私たちの社会の大統合を成し遂げるには、龍山惨事を放置することはできない。 私たちの社会では龍山惨事を眺める視線は必ずしも一致しない。 それでも、いつまでも彼らの傷をそのまま放置できるだろうか。 犠牲者とその家族の恨が極に達した絶叫を聞くことから治癒作業は始めなければならない。 彼らの話を聞いて私たちの社会がどういう解決策を出せるかを真剣に考えなければならない。 その道こそが私たちの社会が一段階さらに統合に進める近道だ。